自然をお手本に

ここ数日、天候に左右されながら外での作業を勤しんでいる。
都市化された社会の中で生活していると、改めて天候というものを実感する。

人間は自分の都合の良し悪しで物事を判断する。

世界で起きている様々な問題も、誰が何といおうと実際は自分たちの都合でそれぞれに語られていることが多いのです。環境問題であっても、社会の問題であっても、そのどれもが自分の良し悪しで判断されていくのです。

例えば、人間にとって有益な動物や昆虫、人間にとって有害な動物や昆虫がいます。
人間の身体にとって有効な野菜は大切に扱われ、無効なものは雑草とも言われます。

よく言葉というものを分析してみると、人間にとって良いものと悪いものでそのものの意味はできあがっているのです。

それだけ私たちは自分都合で物事を考え、自分都合で平和も正義も語っているともいえます。

自然の世界ではたくさんの菌が生きています、乳酸菌や腐敗菌なども人間にとってどうかで名前を決められ選別されます。菌類からすれば、人間にそのように仕分けられ名前を付けられていることなど分からないでしょう。他にも、生き物の頭に毒や害、雑や屑などをもってきてそれを呼び人間の都合で殺したり捨てたりと処理します。

もちろん、弱肉強食の世界なのだから自分都合であるのはいいのですがここまで世界に広がった人類はそろそろ全体を観て調和することなどを自然をお手本に学び直す必要があると私は思うのです。

人間が少なく、あまり世界の環境に影響を与えないのであればそれでもいいのですが実際は空気汚染から水質汚染、森林伐採から土壌汚染、等々と、一時的に自然治癒力を上回るほどに堆積して影響を与えています。

このままではとのシナリオはどれもよくなく、人類だけではなく様々な生き物に影響を与えているのです。人間は智慧をカタチにする技術を持っています、その智慧は決して自分たちだけの世界を満足するものに使ってはならず、それは私たち地球で生きているものを満たすように使うことが力を持つ者の責任であろうとも私は思います。

だからといって何をすべきか、それは自然をお手本に学び直すことです。今こそ、本来どうであったのかを学び、子ども達と一緒に未来を創造するために一人一人ができるところから改善していくことこそが大切であろうとも感じます。

自然を身近にしていると、当たり前である日々への感謝に気づくことばかりです。
これからも寄り添って智慧を学んでいこうと思います。