ソーシャルビジネス

昨年、バグラディッシュでグラミン銀行を設立して世界の貧困撲滅の実践を行うムハマド・ユヌス氏の講演を拝聴した。

二宮尊徳を学び実践する中で、今の時代にも同じ観点でビジネスに取り組む人がいるのだと理想と憧れとともに話を伺った記憶が今でも鮮明に残っている。

もともとこのユヌス氏の思想である「現在の資本主義が、人間について利益の最大化のみを目指す一次元的な存在であると見なしているとする。これに対して人間は多元的な存在であり、ビジネスは利益の最大化のみを目的とするわけではない」とある部分に私はとても共感している。

そもそもビジネスという意味の定義が今の時代は資本主義の中だけで、株主を中心にした会社としてのみ捉えられ本質としてのビジネスの在り方を問い直されてはいないままになっている。わが国では、渋沢栄一や二宮尊徳、近江商人など、もともと三方よしの考え方を根底に持ってビジネスというものを定義している。

かつて存在したビジネスは道徳の経済の一致や、売って喜び買って喜びみんな喜ぶという、そもそも何のために商売をするのか、経済をするのか、道徳があるのかという根本から捉えているからビジネスという元々の意味はその資本主義で定義されている今の時代のビジネスとは一線を画すのです。

先日の講演の中でも、東北の大震災の復興でユヌス氏が提案したのが「生活保護で補助し援助するのではなく、文化事業などを掘り起こししっかりとした持続可能な会社をたくさんつくり世界へと発信することだ」とありましたが私もとても納得できました。必要なのは、一方的な援助ではなく、共に生きていくための持続可能なビジネスにしていくことだと私も思います。

補助金の業界で一度でも仕事をすれば、すぐに何が間違っているのかは気づけるからです。
最初は補助が必要でも、すぐに自力で自立できるようにしないと時間が経ち当初の目的を忘れて次第に持続しない社会へとそれらを運んでしまうからです。

生きる支援というのは、自立支援というのは、生きていくための方法や、生きている意味や価値を感じられるソーシャルビジネスを共に行うことで成り立つのです。震災後、一年経って見て、現実に起きている問題を直視すれば国家の支援の官僚的な采配が如何に矛盾しているかを改めて実感します。

そもそもソーシャルビジネス、社会起業といったものは、新しい物ではなくそれが本来のビジネスの在り方そのものであったのです。昔からビジネスというものは、社会をより善くしていくために持続可能なやり方で取り組むということからお金という手段を使い成り立たせてきたのです。

今は職業が分断化され、福祉の会社、奉仕の会社、経済の会社などと分けていますがその分け方自体がおかしなことなのです。それを勝手にわけたのは、分類上、上から都合で分けただけで現場では分かれてなくただソーシャルビジネスというだけであるのです。

社会に自分を役立てたいと人はまず志を立てます、そしてその志を貫くための手段を考えます、そしてそれを持続可能にするためにあらゆる技術を使って具現化していきます。カタチにするには、ソーシャルビジネスとして理想を実現するための至高の経営技術が求められるのです、それは決してチャリティやボランティアと同じように語れないのです、今の仕事のむずかしさからこれを実現するには真の実力が必要だということを感じない日はありません。

本来、いろいろな会社があっていいとは思いますが私が目指している経済と道徳の一致の理想の会社は教育界や保育界には必ず求められる社会企業でなくてはならないと思います。何をもって持続可能とするか、子ども達のいる現場なのだから大きく捉えて自然であるということにこだわることなのです。

世界では同じようなことに目覚めている人たちはたくさんいます、そして結果をちゃんと出しているのです。目を開いて、人が棲まう社会全体の中で自らを正しく理解し、この道中を楽しんでいこうと思います。