いつの時代も、新しいものと古いものはでてくるものである。
生まれ変わるということもそうだけれど、今までのことを否定せず、これからのことを否定せず、どちらも肯定するにはお互いが尊重し合えなければできないことなのです。
そしてそれは古いものや新しいものの、どちらかだけに付加がかかってはいけないのです。
古いものは新しいもののために無理をして、新しくなろうとしてもそう簡単に古い価値観から抜け出すことはできません。しかし、新しいものは無理をしなくても新しい価値観を創造していくことができるのです。
同じく、新しいものは無理をして古いものを理解することはできませんが、古いものは無理をしなくても古い価値観を活かしていくことができるのです。
温故知新というものは、古きを温めてという書き方をします。
これは、古いものを否定するのではなく古いものを活かそうとする発想でもあるのです。
つまりは、古いものが活かせるからこそ新しいものを取り入れることができる。古いものを否定せず、古いものの能力や古いものの普遍的なものを活用することでより一層、新しいものが引き立たされていくのだと思います。
私はこれが分からず、古いものをどう新しくすることなどにとても心を砕きました。しかしよくよく観直せば、新しいものに古いものが合流する、新しいものが自由に羽ばたける時代がやってくるように古いものは古いものを活用するように促していくことが大切であったのです。
古きを温めるのは、古きものの方が先で古きものがそれを正しく活用するからこそ新しきものがそれを生まれ変わらせることができるのだと思います。
新しいことは今までを否定することではありませんし、それを拒絶することでもありません。
ないものねだりではなく、あるもの探し、足るを知るという観点がそれを打開するでしょう。
新旧交代を正しくするためには、まず何よりも互いの尊敬が必要です。
尊敬するというのは、御互いの価値観を無理に押し付けるのではなく、御互いの価値観を上手く活かし合おうという観点が入るのです。そしてそこに信が入ってきます。
これからもう一度、やり直すプロジェクトもありますが温故知新は尊敬と尊重からを基盤としまず自分から刷新していこうと思います。