いのちの時間

自然の生き物には胎内時間というものがあるようにも思う。

規則正しく、季節にも時間にも日にもあわせてそのタイミングを外さずに繰り返そうとする。
自然の流れにあわせて、そのものと一体になってすすんでいる。

身近な動物も、虫たちも、花々もみんな、それぞれの胎内時間を共有して共生します。その時間は人間の定めた規則正しい生活とは別の、本来の自然時間というものにあわせて生きているようにも思います。

春が来れば、芽を出すものもあり、夏にも、秋にも冬にもそれはあります。また陽が昇る前に動き出すものもいれば、雨を避けてじっとしているものもある、風にあわせて飛ぶものもあれば、暗くなってから蠢くものもあるのです。

それぞれにいのちの華が咲くように、いのちの時間を謳歌しています。

いのちはこの一つの時間、この悠久の自然の流れを共有し受け容れることで成り立ちます。
スローであるとは、本来の時間の事をいうのだろうと私は定義します。

自然というものに近づくということは、色々な知識を学び直し減らしていくようなものです。

それは人間を中心とした世界で当たり前として捉えていた自然という当たり前ということが、本来、もともとどうであったかを正式に学び直すことで、それが如何に本来のものではなかったかと人はもう一度自覚し、それをどうあらねばならないのかと未来への持続可能な社会を維持するために天道から学び直し人道を引き直すのが私の言う「自然をお手本」になのです。

今年の大きなテーマに、自然からの学び直しがあります。

そしていのちの時間は、唯一無二であり安心立命、無為自然です。

子ども達の未来のために、どのような生き方が、働き方が本来の人としての道なのか。
混沌とした社会の中で遭って、どうしても欲や情に焦ってしまいます。

日々に不動の真心を修練していこうと思います。