人類の選択

信頼関係というものは、人類が存続するうえでもっとも重要なものです。
人は交互に相手の立場になるように仕組まれていると感じることがあります。

それは立場を変えたり、環境が変わったり、人を換えたりしながら起きています。

人は自分から共感しようとしていなくても常にお互いを学び続けるようにできているのは本能のなせる業なのかもしれません。

しかしそれを思うとき、人類というものは如何にお互いを学びあっているかと思うのです。

人はみな我が鏡や、他人はみな我が師ではないですが、人間は信頼というものを学び続けて忘れないように何度も何度も同じように学び確かめ合っているようにも思うのです。

例えば、楽しいだけの人生ではなく、そこには悲しみや苦しみがあるように、また四季があり、温和な気候だけではなく寒気に凍てつくように、また栄枯盛衰ではないですが順繰りと何度も何度も同じように歴史が繰り返すのは人類が貢献というものを学ぶには必要な環境だからかもしれません。

因縁因果の環境を通じて、自分の順番が廻って来た時にそれぞれそうではなかった人たちの気持ちに共感するのです。いくら事前にきっとこうだろうと頭でっかちにそれをわかる機会を得たとしても、単にそれは頭で理解しただけで決して実体験ではないのですから、等しくこれは廻ります。

そしてこの同体験を通して、他人は様々なことを学び続けて結局は信頼関係を築くのです。
それは意識の無意識というものとは関係せず、人類の元々選んだ本能だとも言えるのです。

そして人間はそれからずっと自分以外の誰かに頼られるかどうかがもっとも大事な関心事であり、自分も頼ろうとするかが重要になりました。

人は人を頼らなければ自立したとはいいません。
人間の自立は、貢献することではじめて成り立つからです。

他に貢献することこそが信頼関係というものだからです。

今の社会では、自分ができるようになることや、自分ひとりでやるようにすることが自立だと勘違いさせられています。これは大きな間違いです。如何に、他人を頼り、如何に他人から頼られるか、大いに頼り、大いに頼られることこそが、互いの貢献度を上げていくことに繋がるのだと私は思います。

それに今は、自分のことばかりを優先してそれよりも大切な貢献を後にまわしたりすることが当たり前だと思われる社会になってきているように思います。これでは自己実現というものは成り立ちません、人は本来、成長よりも貢献を目指すのが自然の姿です、そして私たち人類も自然が選択したのと同じく「貢献」を選択して今があるのです。

これからも、貢献を優先する生き方を学び続け自然のありように学んでいこうと思います。