学ぶということ

何かをはじめるときにその物事をよく知らないからできないとか、できないから分からないという人がいます。

例えば、何かを行う際に先に自分でやってみるなかで習いたいと思えば習うというのが本来の進め方であるのに、その習い事を探しているうちに分かった気になってしまうということになっていつまでたってもやらないことになったりしています。

もしくは先に習った通りにしていればいいとし、自分でその智慧や理論をいつまでも修得しようとしなければそれもやれないやできないという理由と同じことなのです。

知行合一という言葉があります。

この本質は、知ってから行うのでもなく、行ってから知ることでもなく、知ることは行うことで、行うことは知ることだとそれは分かれていないのだと言っているのです。

だからこそ先ほどの例で言えば、自分でものにしながら習うことと、習いながらも自分のものにしていくことが自修自得という元々の「学ぶ」ということになっているのだと私は思います。

この「学ぶ」というのは、今の学校教育の中で刷り込まれるように単に知識を積み上げていくことではありません。もともと学ぶのは何かを積み上げていくのではなく、ゼロにしていくこと、つまり中庸でありつづけることが本来の学ぶということになるのです。

つまりは学ぶとは学びゼロにするのだから私にとっては学び直すことだと定義しています。

これは例えば、人生の新人でいえば、学びの上書きを続けることで常に自分を正しく新しくしていこうと努力しますし、ベテランでいえば今までの学びの削除を続ける事で正しく新しくしていこうと精進するのです。どちらも、足したり引いたりしていますがそれをすることで偏重しないように元々の真っ新の状態を維持していくのです。

学びというのは常に自分を直す、つまりはいつまでも本質であることを自分が維持継続するためにも一生をかけて取り組んでいくことだと私は思います。死ぬまで学問というのも、それは学び続けることが人生であると思うからです。

人は生きていると、知るや行うの言うや行うということの不調和が発生し次第に独善的に陥ってしまうことがあります。そういうときは、無条件で信頼する人の話を聴いたりすることで学び直しをしたり、自分に何か分からないことを言ってくださっていると謙虚に受け止めることで学び直しやすい自己管理を続けていかなければなりません。

私自身、素直であることを信条にし日々に優先しますがまだまだ多くの人たちの信頼を得るには実力が必要だと痛感しています。常に、自らの学びを通して、自らが姿勢を直し、自らが心を直し、澄んだ真心の発露と学び直しの実践をこれからも続けていこうと思います。