苦楽の学び

日々に新しいことを挑戦していると難題ばかりに向き合います。そこから逃げないと決めたなら新たな学びが自分のものになっていきます。自分の中にモノサシが入っていく瞬間は学びの歓びです。

世間では学校で教えられた学びを学びにしていると、本当の学びというものが分からなくなるものです。外側から目標とモノサシを与えられ、ここまでやったらできると教え込まれる中ではどのように要領よくやろうかや、どのように楽をしようかなど全うに真摯に努力して何かをやろうとは考えにくくなるように思います。

実社會の中で、一つ一つの物事を獲得して自分の中で消化吸収していくには心身一如に体得体感していく必要があります。簡単に頭で教え込まれた今までの刷り込みの学び方をいくら強引に無理してもそれでは学べず、どれだけ全身全霊で実践し本質を深耕していくかという自然の学び方を習得しなければなりません。

臨床心理の河合隼雄さんに下記の言葉があり、共感できます。

「学んでいて楽しくないものは、本当の意味で身につかない、というのは私の実感でもありますが、一方で、苦しさを伴わない学びもまた、ニセモノだと思うのです。」

この『ニセモノ』だと思うのですと言うフレーズが好きです。偽物とは何か、それは仮物であるということ。本当の自分自身の苦労と努力、そして成長の歓びや感謝を感じられない学びなど本来の学びではないということ。学校の教科書をなぞるような勉強ではなく、実体験をさらに積み重ねて本物へとたどり着きたいという情熱と熱意、諦めない闘志、そしてその機会にめぐり会えたことへの感動や感謝といったものなしに学んだはずはないのです。

学んで楽しいのはなぜか、それは新しい自分に出会い新しい自分を創る喜びです。そして苦しさは何か、それは旧い自分を毀し、殻が毀れていく苦労です。この両輪は、常に自己を刷新することこそ学びの本質であることを伝えています。

また河合隼雄さんはこうもいいます。

「思い通りにならないことこそ、ほんとうにおもしろいことだと思っているんです。」

外側の評価でばかり生きていたらほんとうの面白いことに出会えません。思い通りにならないというのは未知との出会いです。そして思っていた以上のことに出会う奇跡との出会いです。

毎日をどれだけ新鮮に味わっているかは、その人の挑戦の数に比例します。

日々に自分が毀れていく仕合せに感謝しつつ、苦楽を味わって歩んでいきたいと思います。