恩師

昨日は、一年ぶりに中学校の頃の部活の恩師に会いました。私はこの恩師の御蔭で本当に人生を変える大きな道しるべと心には宝をいただき今まで歩んでこれました。まさか25年ぶりに再会し、今の年齢になって色々とじっくりお話ができるなんて夢にも思わず人のご縁の奇跡にただただ不思議に思います。

教育という深淵に触れたのも先生があったからです。

自分の人生に正面から向き合ってくださって、その上で人間としてどう生きようかと一緒に歩んでくださったこと、そして大事な局面ではまるで自分自身に喝を入れて叱咤激励するかのように遠慮なく全身全霊で愛情をかけてくれました。

懐かしい思い出は、目を閉じ眼れば今も心の中に鮮明に残っています。

その先生から指導についてのお話を今、お聴きできるのもこのタイミングで私が大事なことを学ぼうとしているからかもしれません。不思議ですが「今必要だと渇望していたら誰かが必ず愛の手を差し伸べてくれる、いつもご縁は初志を離れない」ことも改めて実感します。

私が部生活を通して習った恩師からの戦略は、”勝つバレーではなく負けないバレー”でした。いつも試合がはじまると、相手のチームが勝っているように感じているのになぜか試合が終わったらいつも相手が負けているという戦い方です。相手の監督や選手からもいつも不思議がられていました。

これは日頃の練習こそが本番で基本、その上で如何に自分に打ち克つことが仕合いだと私たちも先生も一体になって戦ってきました。その結果として、敵は周りにはおらず自分自身であることもそこで学んだことを今でも覚えています。先生はいつも自らの実践として練習を重視し、いついかなるときも選手の姿を見守り、常にプレーを通して生き方をきめ細かく指導してくださっていました。

試合ではいつも練習を出せばいい、思い切ってやれといい、試合に負けたら先生の責任だからといい、試合に勝ったら一緒に克ったなと心から喜んでくれました。厳しい中にも深い思いやりがある優しい先生です。先生の生き方は私の人生観に於いて、多大な影響を今でも与え続けています。

最後に先生からいただいた有難い言葉がありました。

先生にも尊敬している先生がいて、その方にある質問をしたそうです。それは「私のような未熟で不完全な人間が指導しても良い人間などできないのではないか?」という質問です。それに対して先生の先生はこう答えたそうです。「世の中に完全な人間などはいない、その中でも自分で勉強して、”こんな人間であろう”としっかりと勉強しなさい。子どもは、小学生でも、中学生でも、高校生でも、自分のその顔つきとか目つきとかでちゃんと人間性が出てくるから。」と。

それを心に、生徒指導の道を歩まれてこられたそうです。まさに論語の「己達せんと欲して人を達せしむ」です。 生徒指導を30年以上勤めて様々な智慧を持つ先生はいつまでも私の先生です。

不思議なことですが今になってみて、尊敬していた先生の生き方を知り、私は深く薫陶を受けていたことを感じ、自分の志事が自分勝手なものではないことに改めて気づきます。初志に教えていただけるのはきっと自分が何を大切に歩んでいるかから離れていないからです。

これからも素直に正直に、指導の原点を学び直していきたいと思います。

素敵な誕生日プレゼントを有難うございました。