感謝感情

人間には自我感情があります。感情の自分というのは、気分の良し悪し、調子の良し悪しがあります。

例えば、何かずっと楽しみにしていたことがあったとします。それが急に不注意から怪我をして何もできなくなると気分は最高だったところから最低に急落します。まるで感情は天気のように晴れたり曇ったりと、その時の状況で変化します。それだけ感情というものは自分にピッタリと寄り添いその時の状況にあわせて自分の気持ちを感じます。

人間はこの感じる力によってその時々を味わい、自分がどんなことをしたいのかを知るのです。ドイツの詩人、ゲーテの格言と反省にこういうものがあります。

「生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけれど、できない。できるけれど、したくない。」

これも感情の変化で語られる言葉であろうと思います。結局は、感情がしたいしたくないと決めているのです。どんなに自分のやるべきことがあったにせよ、自分がしたくないのではあまり効率も効果も上がっていきません。また逆に自分がしたいと思っていてもそれができなかったら感情がまた高ぶってきては効率も効果も下がってきます。

この感情というものをどのように向き合うか、それは実際の人生において大変重要なことであろうと私は思うのです。これをお座なりにしていては、自分自身を管理することができないようにも思います。自己管理とは、健康や体調だけではなく精神や心、そして今回の感情というものが大きく関わってくるように思います。

感情とどう付き合っていくかは、その感情の変換の仕方にあるように思います。例えば先ほどの天気なら晴れも善し、曇りもまた善しと融通無碍になれるかどうか、もしくは自分にとってのマイナスな感情が起きても、それを素直に有難い試練や成長の機会だとプラスに転じることができるかどうか、ここに自己修養の要諦があるように思います。

何をしていても感情は高ぶります、それをいくら避けようとしても人間はロボットや機械ではないのですからそこに本来の目的や使命を実感するものです。そもそも何のためにやっているのかの初心を忘れなければ、やりたいこともしたいこともできようができなくても実践していこうと思うものです。そうやって実践しているうちに、自分の感情が上下左右していることに気づいても変わらずに平常心でいることの大切にさに気づくようにも思います。

自我感情との向き合いは、それを転じて善いものに換えるときにはじめて「良し悪しなし」という境地に出会えます。カグヤには「円満祝い唄」というものがありますが、その中の歌詞に「いいもわるいもないんだよ」という部分があります。

これが私の思う素直さであり、順境も善し、逆境もまた善しの感情、つまりは感謝感情の境地です。自己修養と自己研鑽を怠らず、星のように急がずに休まずに取り組んでいきたいと思います。