孤高の志~覚悟~

アメリカのオバマ大統領が尊敬する人にキング牧師が居ます。インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーに啓蒙され、非暴力主義で黒人公民権運動を行った方です。

「私には夢がある・・」の一節は、オバマ大統領も演説の中で使っていました。私もこの演説をかつての映像で拝見したときは、魂が強く揺さぶられた記憶があります。

このキング牧師の遺した言葉にも、魂が揺さぶられるものばかりで如何に覚悟を持って生きることが大切か、自分自身を自分で決心し生きよという本気さが言葉の中に滲み出てくるような思いがします。そのいくつかはすべて、自分の人生の責任を他人に委ねるなという自戒が込められているようにも思います。不可能を可能にし、夢を実現するのはまず自分自身が覚悟を決めることであるということをキング牧師の生き方から学び直せます。

例えば、「もし世界が明日終わるのだとしても、私は今日りんごの木を植える。」があります。周りがどういう状況であろうとも、どんなに苦しみに打ちのめされても私は自分で決心したことは最期までやり遂げるという覚悟です。

そしてこうも言います。

「そのために死ねる何かを見つけていない男は、生きるのにふさわしくないのではないか」と。

生き方というのは死に方です。どんな死に方をするのかを何のために死ぬのかを決めていない人では、どのように生きるのかもまた決まらないだろうということなのでしょう。

「ほとんどいつも創造的でひたむきな少数派が世界をより良いものにしてきた。」とも言います。本気で遣りきってきた人たちが周りを変えていったのだという事実を語ります。そして「最大の悲劇は悪人の圧制や残酷さではなく善人の沈黙である」と。善人は思っていても実践しないから単なる善い人で終わります。実践する人は歩んだ道が遺りますから必ずその道の跡に気づいた人たちが自らを変革していく変化になります。やらない不正とも言いますが、不正をしていなければいいではなく見て見ぬふりもまた不正であるということでしょう。だからこう言います。

「人は『発言する』ことにのみならず、『発言しない』ということにも責任を持たなければならない。」と。自分自身の覚悟はどうかを常に確認して発言するしないに関わらず、その責任を自覚しているかということを問われているのです。

その人生は、最期の暗殺される瞬間まで覚悟が光り続けた自分を生き切った方でした。暗殺の前日のスピーチには、夢を生きるとは何か、そして自分自身を生きるとは何かを感じます。それを紹介して終わりたいと思います。

「これから何が起きようとしているのか私にはわかりません。私たちの前途に困難な日々が待っています。でも、今となっては、私にはどうでもよいことなのです。

なぜなら、私は山の頂上に達したからです。だから私は気にしない。皆さんと同じように、私も長生きがしたいものです。長寿とはよいことです。でも、今となれば私にはどうでもよいことなのです。

私はただ神のご意志を実現したいのです。神は、私が山に登るのを許されました。そして私は山の向こうに約束の地を見たのです。

私は皆さんと一緒にそこにたどり着けないかもしれない。しかし、今夜、皆さんにわかって欲しい。私たちは、ひとつの民として必ずや約束の地に到達するということを。

だから、今夜、私は幸せです。私は何も心配することはなく、誰をも恐れてはいないのです。私の眼は、神の再臨の栄光をみたのです。」

孤高の志は不滅です、真心で真摯に道を切り開く本気の姿勢を見習い、日々に自己の完成を精進していきたいと思います。