美徳日本~美しい心の人々~

先日、落し物をわざわざ自宅に届けてくださった方がいて有難い体験をすることができました。今の時代は連日テレビで詐欺や欺瞞、また犯罪などのことのニュースが善く流れていますからついネガティブなイメージを持ってしまいますが実際の日本人はまだまだ豊かな心を持っているように思います。

今回のことで改めて本来の日本人とはどういうものかということを考える機会になりました。

以前、アメリカの動物学者のエドワード・S・モースは、標本採集に来日して日本で生活する中で日本のことを「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。」といいました。これを聴いて最近では、ブータン王国が同じようにテレビで特集されていたのを思い出します。お金がなくても、みんなが愉しく豊かに生活をしている様子をブータン王国での映像では伝えていました。

他にもモースは、「日本その日その日」(平凡社)で日本の印象が紹介されています。

「明治初期のことである。大森貝塚の発見で知られるアメリカ人の動物学者エドワード・モースが、瀬戸内海地方を旅したある日、広島の旅館に財布と懐中時計を預け、そこからしばらくの間、遠出をしようとした。そのとき旅館の女中が「お預かりします」と言ってしたことは、時計と財布をお盆に載せてモースの泊まった部屋の畳の上に置いただけであった。もちろん部屋はふすまで仕切られているにすぎず、鍵や閂などが掛けられてはいない。モースはとんでもないことだと思って宿の主人を呼んだが、主人は平然と「ここに置いておけば安全です」と答えた。自分の旅行中にこの部屋を使う客は何人もいるわけだし、女中たちも終始出入りする。モースが不安をぬぐえるわけもなかった。しかしモースは、ここで思い切って「日本社会の実験」をしてみようとのつもりになったようで、そのまま遠出したのである。一週間後、旅館に戻ったモースは部屋のふすまを開けて心から驚き感じ入ったのである。そのときのことをモースは次のように記。「帰ってみると、時計はいうにおよばず、小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に載っていた」モースによれば、当時の欧米のホテルでは盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったそうである。モースはこの日記の文章に続けて「日本人は生得正直である」と書き留めている。」

今では金庫に保管してくださいや、盗まれると危険ですからといわれますがかつては御互いの信頼や信用で成り立っていた社會が旅館の中に根づいていたことが分かります。鍵などもなく襖と障子だけの部屋ですから、それだけ旅館という場所は信頼関係が基本であったのかもしれません。しかし次第に、西洋文化が入ってきて西洋の価値観を優先しすぎて今では日本のかつての姿が隠れてしまっているように思います。

ハリスの通訳として来日していたヒュースケンはこう言います。

「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたることろに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。

あの頃と今ではどのように変わってしまったか、きっとヒュースケンは未来を予見していたのでしょう。そして同じようにラフカディオ・ハーンは「日本には美しい心がある。なぜ、西洋の真似をするのか」いいました。

気が付けば自分の国を西洋先進国の一国のように捉えて先進国の仲間入りをしたと勘違いしているのは自分たちの方かもしれません。本来、何をもって先進国であるか、もう一度子どもたちに譲りたい先祖代々からの文化を見つめ直す必要があるように思います。

フランシスコ・ザビエルは、「日本人はヨーロッパの最先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの、高い文化とモラルを持っている」と言います。ここでは高い文化とモラルのことを最先進国と定義しています。

お金が技術が高く経済的に裕福な国を先進国というのではなく、礼儀や道徳、民度こそが先進国の証であるということを言っているのでしょう。真の豊かな国とは一体何か、そして本来の先進国の本質とは何か、西洋の価値観ばかりを追い求め、自国の本来の目指した理想の姿を間違わないようにしたいと思います。今こそ、私たちは先祖代々受け継がれてきた美徳日本を思い出す時代です。

この国に産まれて善かったと思えるような、生き方を子どもたちに遺していきたいと思います。ありがとうございます。