子どもの志事

今の時代は、短期的に物事を考えて正解を出すあまり長期的に考えることを否定しているようにも思います。物事というのはどんな物事であれ、短い目でいくら正解だと思っていてもそれが長い目で見た時に正解になっているとは限らないのです。いや、ほとんどすべてが長い目で観た時には間違っていると言っていいかもしれません。

例えば、環境問題もそうですが子どもの少子化対策のことや待機児童のこともそうです。今さえ何とか乗り切ればいいという政策や、そこに纏わりついてしまうビジネスは時流などと言い方をしますが長期的にみて方向性が間違っているものばかりのように思います。

「子はくにの宝」といい、昔は子孫のことを考えて今の時代を生きる人たちはその責任を果たしていました。しかし今は、目先の問題に対処するばかりで根源的な改善を怠り対処療法ばかりでやり過ごすうちに長期的に観て実践をすることよりも短期的に方法論ばかりを試すような浪費ばかりを重ねていきます。

これでは日増しに体力は消耗していき、何代か先の子孫にとても大きな負債を遺すことになるかもしれません。本来、私たち今の世代は子子孫孫を子どもだと定義し、その子ども達にどういう恩恵を譲っていけるかをみんなで考えて行動していなかなければなりません。それが子どもを思う親心ですが、子どもをあてにして経済ばかりを追い求めて疲弊していたら本末転倒するようにも思います。

アメリカにネイティブインディアンの古老の教えと掟というものがあります。ここには「どんなことについても何かを決めるときは、そのことの影響を七代先まで考えなくてはいけない」とあります。具体的にはこう書かれます。

「あなたが重大な決断をし、行動を起こす前には、あなたの親、祖父母、そして先祖を7代に渡って遡り思い返します。そして同時に自分の子供、孫、曾孫と7代先の将来の子孫のことを考えます。あなたの行動と決断が過去と現在を尊重していると確信できるとき、そして未来を7代に渡って守っていると確信できるとき、あなたは良心にしたがって前進することができるのです」

今のことばかりを考えて判断するのではなく、その判断は果たして7代先に渡って守っていけるものかを確信できるかという問いを持って判断せよということです。その時のみ、はじめて今の世代の判断が間違わないということです。

何代も先のことを考えて木を植えたり、何代も先のことを考えて大切なものを遺すようにと陰ながら活動している人たちが世の中にはいます。そういう人たちはみんな今の資源がかつての先祖たちが私たちに遺して譲ってくれたことを知っています。その恩送りをするために、今の自分にはすぐに利益がかえってこなくても先々の子孫のためにと活動を已めないのです。

こういう人は長い目で物事をみて、根本的に考え、本質から外れることがありません。ネイティブインディアンの「良心」という言葉は、「本質」とも言い換えれます。

物事はすべてにおいてどれだけ長い目で観ているかということが視座を高めるのです。それは保身ではなく、保育の生き方、この仕事は本当に歴史を考える志事であると感じます。

引き続き、今の実践が将来の子ども達にどんな影響を与えていくかしっかりと見通して丁寧に取り組んでいきたいと思います。

価値の再発見と再定義

人は価値観というものを持っています。それはそれまでに育ってきた自分の境遇や環境によって左右されてきますが、価値があるかないかを決めるのもその人だとも言えます。

その価値観は時代によって左右され、ある時代では価値があったものがある時代ではまるでゴミやガラクタのような価値になっていくことがあります。人が生きていくということは価値観によってですがその自分の価値観がどうなっているのか時折確かめていかなければ時代の価値観だけに流されてしまうのかもしれません。

如何にどのものに対しても自分が新たな価値を見出すか、そしてその価値を自分が再定義するか、そこに時代時代の本質を守る鍵があるように私は思います。

例えば、田舎と都会ということがあります。田舎にも様々な楽しみがありますが、都会にも様々な楽しみがあります。しかし実際は田舎の価値は田舎の人の方が気づいていなかったり、都会の価値も都会の人が気づいていなかったりします。そこでの生活が当たり前になってしまえば価値があるかどうかも分からなくなっていくのです。

これと同様に価値というのは、当たり前になることで価値が失われていきます。如何に当たり前ではないことを自覚し、その当たり前ではないことを活かすかが価値の発見であり価値の再定義になるのです。当然、その当たり前を見破るその根本には感謝が基礎や基本になっています。

温故知新なども同じく、その当たり前であったことをもう一度確認してその上でそれが当たり前ではなかったことを知る。そのことで物事の本質に気づき、価値が新たに生み出されていくのです。ファッションの世界なども、同じく昔のものが時代を経て入れ替わりまたデザインされて順繰りと回転し続けているだけとも言えます。

時代時代で本質をちゃんと維持していく人は、その時代の価値を正しく見極め、そしてその価値を刷新して原点回帰をしてもう一度世の中にその価値を弘げていくことができます。

この「価値に気づかせる」という言葉は、「刷り込みを取り払う」ということと私は同じ意味だと信じています。それまでに当たり前だと思った常識を目から鱗がとれるように取り払ってみる。そして常識を壊して自分の発想を転換して新しい世界に気づかせる。そういうことこそが価値を発見し価値を再定義することだと私は思います。

人間は時代が変わっても実際にやっていくことは同じことですが、本質を維持する人と本質を忘れる人がいるだけの話のようにも思います。本質は考えるだけではなく、自然に触れて自然の本能を同時に磨く必要があるように思います。そしてそれができる人だけが、田舎であろうが都会であろうがどちらでも楽しむことができるのです。

伝統か革新かではなく、常に本質は価値の再発見と再定義です。古来からの魂を維持しながら今に柔軟に合わせていく、いにしえの道具を用いながら、最先端の道具も活かしていく、本当の革新が本来の伝統であるのだからその両輪の一致するところにこそ私は本質があると感じます。

引き続き、理念を優先しつつ実践を愉しんでいきたいと思います。

天道に従い人道を行う

以前、伊勢神宮の式年遷宮のことを書きましたがこの仕組みがとても価値があることを改めて古民家の再生を深めていて感じます。今の平均的な建物は、ほとんどが新築物件であり家が傷めばすぐに建て替えることで話が進んでいきます。地震や災害に強いからと鉄筋コンクリートでつくられ、モルタルなどで固めたものはそもそも解体して組み直すようにはつくられていません。

しかし昔の建物は、貴重な材料を用いていたため古民家などもそうですが解体して移築するという方法がとられていました。今の時代は、わざわざ古いものを移築する方が大変だと思われがちですが本来は移築していることが当たり前だったのです。

そして移築するとき解体してどこが傷んでいるのかそして先人の職人たちがどのように建てたのかをみて後人たちは学び直しをしていました。建物を直し、改めて今の時代の技術を観直す、そういう仕組みを通してかつての文化を大切に継承してきたとも言えます。毎回新築を建てては、それを解体してゴミのように捨てて新しいものにしていたら文化の継承などは行われることはありません。

また現在、地震や震災があるとすぐに建物を新築で強いものを建てるようにすすめ、それまで崩れた古民家などをまるで価値がない様に扱われていきます。しかし先人たちは長い年月、耐久できるものをつくったのであって目先の地震だけを乗り切れるものなどをつくることはありませんでした。

なんども地震があることは当たり前ですから敢えて崩れるように脆く弱くつくっていて壊れたらまた修理するように考えてつくられました。そうやってなんどでも組み直して立て直すことで何百年ももつ家を建てたのです。弱く脆いのは自然に逆らわないという方法を選んでいたのです。

しかし今は、一回壊れたら全部壊して建て直すしかありません。これはまさに最近、出回っている安い電化製品などもそうですが修理するよりは買い直した方が安いし早いということでそもそも長く使えるものとして作り手もつくってはいません。ほとんどがものの2~3年でどうせ古くなるからと、すぐに新しいものを買い替えるように勧めてきます。

昔の家や道具は骨董をはじめ何十年も、もしくは数百年の前のものでも今でも手入れすれば遜色なく使えるものばかりがあります。キチンと人が手入れして掃除を怠らず、大切に使っていれば味わい深く輝き出して今でも美しい道具として沢山暮らしの御役にたってくれます。

先人たちの家や道具に接する姿はとても謙虚なものです。それは今の時代のように自然を征服するのではなく、自然を尊敬するということを優先してからでしょう。敢えて弱く脆いものをつくるのは、自然の偉大さを自覚するからです。自然の方が壮大で人間など及ばない、だからこそ人間の方が自然に従い自然に沿って暮らしていくのだから壊されてしまうことは当然の理だと丸ごと受け容れているのです。

その上で自分たちが怠ってはならないものが何かをよくよく自覚自認して、何度も自分たちの方の姿勢を謙虚に直していけるような仕組みになっている。あの伊勢神宮の式年遷宮もまた自然に沿う生き方するという姿を実践で示す神職たち、その土地の生き方の伝承なのです。

初心伝承とはこれらの謙虚さに目覚めさせることです。子ども達のためにも引き続き天道に従い人道を行うことの大切さを実践で示して譲り遺していきたいと思います。

住みやすさとは何か

古民家や町家を深めていく中で、住みやすさとは何かについて考え直しています。以前、「家が呼吸する」という言葉を教えていただいたことがあります。これは昔の人たちは家が呼吸することを知っていて、ちゃんと呼吸できるように建築していたと言います。法隆寺や正倉院など、今でも長く続き建っているものは呼吸をし生き続けていると言います。

古民家の大きな梁には、今でも木の樹液のようなものが出ています。これも樹がまだ生きて呼吸をしている証拠のようにも思います。他にも部屋に空気が籠ることがなく、常に静かな風が下から上に流れています。寒暖の差、乾湿の差では、隙間が開閉し家そのものが自ら調整しているかのようです。

今の近代住宅というものは、基本的には密閉住宅です。東京で住んでいるマンションは二重窓にしてエアコンや床暖房が効果を発揮するようにつくられています。そのためいつも締め切っていますから夏などはとてもエアコンなしでは生きていけないほどです。

徒然草の吉田兼好に家の建て方について書かれたこういう有名な一文があります。

「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。」

家の建て方は、夏を考えて造りなさいといいます。冬はどうにかなるけれど、蒸し暑い住まいはとても耐えられるものではないからだといいます。その他、具体的な間取りや部屋の配置などのことを書かれます。この日本という風土は、温暖湿潤気候ですから夏の風の通らないムシムシした湿気の室内の辛さは感じたことがあるはずです。

そうならないような家を建てたようですが、その頃はエアコンも扇風機もありませんから昔の人たちは自然を参考に智慧を絞ったように思います。古民家や町家にはその自然の風を通す仕組みがよく考えられており、決して密封密閉したりすることがありません。

よく観ていたら日本の和風建築や伝統的な家の様式には涼を感じる仕組みがあらゆるところに取り込まれています。まるで木蔭に住むかのようなその配置や道具に、日本の四季に逆らわない謙虚な家人の生き方を感じます。

密閉住宅は缶詰のようなもので、外と中を遮断しますが昔の家は外と中がつながっています。夏にはやはり木蔭のようなところのイメージがあります。もっと遡れば、冬は洞穴で、夏は木蔭で、春は草原で、秋は森の中に住んだのかもしれません。

呼吸とは、自然の四季の中で一緒に移ろう循環したときはじめて息をするのかもしれません。四季のめぐりは地球の呼吸ですから、その呼吸に合わせて生きることが呼吸する人であり、その呼吸する人が住んでいる家だからこそ呼吸する家になるのです。

呼吸をするというのは、季節の循環や四季を感じている人になっているということです。それは地球の呼吸と一体であるということであり、昔の人たちはわざわざ密閉密封されたところにいて呼吸を感じられなくすることはしないのです。

住みやすさとは何か、引き続き深めていきたいと思います。

 

長い目と永い心

先人たちのつくった道具や建物を深めていますが、学び直すことばかりで興味が尽きません。一つの道具にしてもどれだけ長く使うことを想定してつくったのかが伝わってきますし、建物においては何世代先まで住めるように建てているのかを見ていると驚くばかりです。

先人たちが「ものづくり」をする際に何を最も大切にしてきたか、直接手で触れてみるとそれをどの道具や建物からも「悠久」に耐えうる設計になっていることを感じ入ります。

今は、すぐに短絡的に物事を決めてそれを良しとします。目先の課題や、直近の問題のみに焦点を当ててそれされ乗り越えれば良しとします。しかもそれを今を生き切るなどという言葉にして実際は単に時間に追われるままに刹那的に生きていることを誤魔化すための言い訳にもなっています。

しかし先人たちの今を生き切るというのは、長い目で物事を観て永遠という尺度で物事を決めるという信念と覚悟があったように思います。長い目で考えるというのは、焦りとの葛藤があります。焦るのは、目先を見ているからであり焦らないのは悠久の歴史を観ているからです。自分の中にどうしても結果を出さなければと考えたり、どうしても自分の人生の残り時間という尺度を入れてしまえば焦りが湧いてでてきます。

一たび焦れば先人たちの真心に触れることもできず、結果的に応急処置た対処療法ばかりを続けて根本治癒や根源治療はできません。自然の技術はほとんどが根本から直すものばかりです、それに対して人間の技術が対処していくものですからその両輪のバランスをどう維持するかが復古創新していくときに何度も葛藤するものです。

そしてこれは会社での理念の実践と同じく、理念を優先しながら同時に仕事の成果も積み重ねていくことに似ています。理念か経営かではなく、理念=経営にしていくこと、つまりは生き方と働き方を一致させて一円融合して継続運営していくことです。

いにしえの道具や建物についても同じで、これも生半可な覚悟と知識では継続運営が難しいように感じています。一つの御縁から、今、新たな実践がはじまりましたが与えてくださったこと選んだくださったことに感謝して間違わないように取り組んでいきたいと思います。

有り難いことに実践のモデルの人もいます、与えていただいたもの全てに感謝する鞍馬山の真心も知りました。御山の教えもいただいていることを肝に命じて、一つひとつの判断を決していい加減なことをせずに真摯に長い目で永い心で取り組んでいきたいと思います。

温故と恩顧は同じ響きですから、その理を忘れないように自戒していきたいと思います。

革新の要

先日、5年目になる自然農の田んぼに無事に田植えをすることができました。東日本大震災からこの田んぼとの御縁ができ今では畑をはじめいよいよ人の手が入ってきた感じがでてきて味わい深い豊かな環境ができてきています。

この自然農の田んぼは機械を用いず、手作業で手間暇かけ手入れしてきました。そのためか畦も他の田んぼのように真っ直ぐではなく曲がりくねっていますし、形も真四角ではなく楕円形でカーブを描いています。

復古創新に取り組んでいますが、もともと私はこの復古創新をこの自然農の田んぼで行っていることに気づきます。現在、大規模農業で開いている田んぼは大きく大型の機械を使って耕していきます。昔では考えられない広さを一人と機械で耕していくのです。そして機械がつくりますから正確にキチンと仕上がります。

しかし昔の棚田のように大型機械が入ることが出来ない田んぼは人の手で丁寧に耕されていきます。人手が必要ですから家族総出、親戚や友人まで借り出してはみんなで一緒に田植えを行います。機械のようにはキチンと仕上がりませんが、独特の味わいを醸し出していきます。

この棚田を観るとき、私はこの棚田を単に古いものだとは感じません。むしろ人の手で丁寧に手入れされたこの棚田はとても美しく豊かに感じその姿容には新しさも覚えます。もちろん休耕田になって誰も手が入っていないものはただ古いだけです、しかしそこに手入れという人の手が入ることで新しい価値を今に創造するのです。

そして今、新たに古民家の手入れをはじめましたがこれも自然農と同じです。如何に初心を継続維持するか、実践し続けることが出来るか、そこに創造と革新があるように私は思います。

そもそも新しいとは何か、それは実践を続けることでいのちが吹きこまれ続けるということです。つまり新陳代謝のことです。呼吸のように、息ているものはいのちを躍動させていきます。いのちが活きているものは、常に活き活きと働き続けるのです。詩経にある「鳶飛魚躍」のように、持ち味を活かしそのものの性が自由に躍動し豊かさに満ちていくのです。

温故知新は如何に理念の実践を継続していくかが鍵です。そして実践を継続することができれば改善することも同時に進みますから継続こそが革新の要だということです。

理念を定めれば必ずその後に継続の実践道場は顕れます。人が志が試され練磨され、人格が陶冶され徳が高まっていきます。そして自然に道が拓かれていき、その道が子々孫々へと連綿と結ばれていくのです。引き続き、かんながらの道で出会う一つ一つの御縁を大切に実践により価値を再定義し直していきたいと思います。

馴染む

先日、左官の親方から「土が馴染む」という話をお聴きしました。今の時代は納期が短く、すぐに結果を求めてものづくりをするから時間をかけて馴染むということをしなくなったと仰っていました。

そもそも馴染むというものは、時間をかけることで行われるものです。新しかったものが古くなるというのは、単に経年劣化ではなく経年変化していくということです。それは人間関係でも同じく、幼馴染や昔馴染みというように御互いが調和して解け合い親しくなるということです。

昔の道具たちや古材の魅力はこの「馴染む」ということによります。先ほどの土であれば使っているうちに次第にひび割れたり壊れたりします。しかしそれを修理修繕しながら大切に親しんでいけばそのうちに馴染んでくるのです。

この馴染むというのは、古いということであり、この古いということは安心するということです。親しみが深くなればなるほどに心の安心感は深くなっていきます。これは住居や道具たちとも同じで、馴染むほどに親しくなればそれはもうパートナーです。そのパートナーたちと一緒に暮らしていけるということが、どれだけ心に安心を与えるかといえば家族と同じほどに心を許し開いていきます。

自分が居心地が善く安心するのは、古いものに囲まれているからです。新しいものばかりのワクワク感もいいのですが、古いものが持つ安心感は格別なものです。今、復古創新に取り組んでからまだ日は浅いのですが古いものたちが馴染み合う姿に歴史の重みと有難みを深く味わっています。

私たちの先祖たちが暮らしてきた生き方に、自ら馴染み近づいてさらにもう一歩踏み込んで伝統を革新してみたいと思います。

左官との出会い

昨日、大分である有名な左官の親方とお会いする御縁をいただき土場工場を見学する機会がありました。そこには様々な土壁や漆喰の塗り見本のサンプル、また見たことのないような今の時代に合った商品が開発されていました。すでに40年近くこの道を進まれ、今では伝統や技術を継承するために様々な活動を行っておられました。

今はあまり土壁を塗るという機会が少なくなり、若い人たちに経験させてあげる機会が少ないと仰っていました。文化財の修復や個人の住宅のリフォームなどで土壁を塗る機会があるときは文化伝承のために学ぶ機会をつくっておられました。文化伝承は一度途切れると二度と取り返しがつきません。先人たちからの大切な技術や心を伝えるために、親方として色々と苦心なさっているのが印象的でした。

土については、かねてから御指導いただいている方もいて改めて土に興味を持つと不思議な魅力に満ちているのを発見します。こんな面白い世界があったのかと、炭も鐵も砂も土もどれも自然が産み出した至高の材料たちです。

この「左官」という名の由来には諸説あるそうですが、まず律令制度の時の官位として『官(大匠)を佐たすける』という意味があること。または砂を使うので「砂官」「沙翫」とし土を薄く塗って、向こうが透き通るような「紗(しゃ・うすぎぬ)」を作るから「紗官」の意味もあると言われています。どちらにしても、土や砂、水や鉱物、全ての素材の本質やその徳性を知り尽くしているだけではなく、様々な素材との調合によって様々な色合いや色彩、技法を盡した総合芸術でもあります。

本来、この土を塗るという仕事は遡れば縄文時代の前から行われていたものです。竪穴式住居の壁も土を見分けて塗り固めていました。その後、土器や竃などもすべて土で行われます。どの土を調達するのか、その土をどのように調合するのか、あらゆる素材を知っているからこそその土を産み出すことができるとも言えます。日本の伝統的な和の住空間を考えるとき、そこには必ず左官がいます。今では左官職人が減ってきて伝統が途切れそうになってきているといいますが、和の住空間の需要がそれだけ失われてきているということでもあります。

昨日の御話でとても印象に遺ったのは、「土に近づく」ことの大切さです。現代は、すぐに壁をクロスを貼って部屋をつくりますが土だとすぐに何か物があたったりするとボロボロと壊れていきます。クロスはそれがないから安心といいますが、実際はガラスのように割れるものであり、土は壊れるものです。そこから大切に扱うことを学び、ものを大事に接する素養が自然に身に着きます。自然素材というものは脆いものですがその分、手入れを怠らず丁寧に修理していけば何十年何百年と維持できるものばかりです。

親方は土のワークショップと称し、子ども達が様々な土に触れる機会をつくっています。土に近づくような生き方をしようと、新たな作品を産み出し続けるだけではなくその生き方を通して日本人としての本質と文化、その価値を新たに刷新するために初心の伝承を行っておられました。

今回の聴福庵の復古創新ではじめに出会ったのがこの左官という志事です。どのように今の時代に合わせて伝統の革新をするか、私自身もこの場を見極め本質をさらに深め、よくよく自然から学び直しつつ、生き方と働き方の一致を実践していきたいと思います。

聴福庵の初心

私たち日本人は和風の空間の中に入ると心が和み落ち着くものです。これはもともと私たちが懐かしいと感じる心から来るものです。私たちが心で感じるものは、全てかつて体験したものです。心にそれがあるからこそ、その心が感応してそれが出てくるのです。

この和風の空間というのは、私たちの暮らしの空間のことです。心が落ち着くということは居心地がいいということです。そして居心地がいいというのは、一緒にいたい存在ということです。それだけ永く共に暮らしてきた家族家庭があることを人は「懐かしい」と思うからです。

例えば、和風の空間には様々な家具や道具たちがいます。外からは採光が差し込み現れる薄い陰、縁側から穏かに流れてくる涼しげな風の音、また水や木の薫り、炭の温もりや静かなけむり、それらはすべて懐かしいと感じるものです。

私たちが懐かしいと感じるものは、かつて永い間生活を共にして助け合い認め合い尊重し合った大切な仲間たちでした。自然界では、自分たちが生活を共にする仲間たちとともに文化を形成します。畑で作物一つ育ててみても分かりますが、何かを育てればそれに近しい親類たちが自然に集まってきます。虫なども同じで、自然に親戚が集まってくるのです。

家族というものの定義が何か、親戚たちが集まり仲よく暮らしていく中で自ずから仲間が共に暮らしはじめていく。ここに本来の家族の意味があるように私は思うのです。

今の時代、かつて悠久の歴史を共に生きてきた仲間を思いやらず人間のみ中心の世界を築くことで次第に仲間が減っていき孤立してきています。仲間に対する扱いもただの食べ物として扱い、ただの置き物として扱い、価値がないものとして粗末にしています。大量生産大量消費そのものが、いのちを単なる「物」としてのみ扱い、本来のもののあわれといった心がある存在として感じられなくなってきています。

昔の仲間たちが傍にいる安心感というのは、格別なものでそれによって心は深く和み癒されていきます。今は本来の社会が失われ孤立で苦しみ病み悲しんでいる人たちがたくさん増えてきました。その空間には果たして仲間たちが親しみ合い結び合う「もったいない」という御縁の繋がりといのちの鼓動がいつも聴こえてくる環境なのでしょうか。

私が今、実践し弘げようとしている聴福というのはそのいのちの声を聴くことです。それは仲間であることを思い出させることです。本来、人間も自然の一部、仲間そのものです。そこから離れすぎてしまえば我儘で傲慢さゆえに孤立が深まっていきます。確かに自分の思い通りの道具を仲間と呼ぶ人もいますが、本来の仲間とは自分が扱うように扱われるものです。尊重し認めていないものを果たして仲間と呼ぶのか、そして果たしてどのような親戚が集まってくるのかと私は疑問に思います。仲間と共に暮らす物語を一家として志すことが親祖から連綿と続いてきたいのちの文化を子孫へ譲り渡していくことです。

和風の空間の本質は、仲間と共に暮らす場ということです。

改めて聴福庵の初心との御縁がどのように変化成長していくのか、大義を忘れずに真心を盡していきたいと思います。

立志聴福

昨年、石見銀山の他郷阿部家に訪問するご縁をいただいてから復古創新という言葉に出会いました。論語の温故知新という言葉は知っていましたが、本来の日本の文化である「勿体ない」という考え方に繋がってはいませんでした。

しかしあれから1年近くが過ぎ、価値を新たにするということの深い意味とそれは今を生きるものたちの使命であることを実感しています。

私たちは「不易と流行」という変わるものと変わらないものの中にあってその時代時代を生きそして暮らしを継承していくものです。明治以降、江戸時代の鎖国の反動からか西洋の文化が流入し何でも新しいものに価値があるという価値観が広がり古いものには価値がないとさえされてきました。それからの日本は、本来の価値のある文化遺産をタダ同然に捨てていきました。現在は一部の人だけが骨董品や、嗜好品などといって収集していてそれを売り買いし、本来の伝統や伝承の意味が正しく継承されていないようにも思います。

他郷阿部家の松場さんご夫妻は、『「世の中が捨てたものを拾おう」という考え方を持ち「復古創新(ふっこそうしん)」つまり古いものに固執するのではなく、いにしえの良きものをよみがえらせ、そのうえに新しい時代の良きものを創っていくことを大切にしよう』と実践なさっています。そして最近の解釈では「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」とブログにも紹介されていました。

ただ古いものを遺せばいいというものではなく、それをどのように革新していくか。つまりその時代時代を生きるものの使命として、かつての日本の心や精神を身に着け、さらにはそれを今の時代で反映しより善く発展できるように精進する。「不易と流行」の本質はこの復古創新にこそあるように私も思います。

そしてこれは「生き方」のことを教えてくれているものであり、この時代、どんな生き方をするのかと私たちは今、問われているのです。

世の中がどう変化して変わったとしても、生き方を変える必要はないはずです。生き方を変える必要がないのなら、変わるところはさらりと変わる。変化を愉しみ変化を味わうのは、変わる楽しさを知っているからです。そして変わる楽しさとは、自分が自然に照らして間違ったと気付いたらすぐにそれまでの人間中心の生き方から自然に寄り添い尊重する生き方に変わっていけばいいということです。

謙虚さというものは、自然を尊重し自分を変えていくことです。そして素直さというのは、日本古来の生き方を維持し大切な大和魂を守ることです。この変わるものと変わらないものとは、自然界と人間界の道理であるのです。自然に逆らわず自分たちの方を変えていくことが悠久の歴史において時代を循環し革新していくシンプルな法理なのでしょう。

ここにきて私にも地域への御恩返しができる「場」が与えていただけたこと、さらに一つの出会がから多くの出会う「間」、日本古来の大切な文化を守り生き方を変えて革新していこうとする仲間たちが集まってくる「和」に喜びを感じます。古来のかんながらの道、そして立志聴福、子ども達に安心して時代を譲り渡せるよう日々新たに温故知新していきたいと思います。