自然美と恩顧知新

民藝という言葉を育て民藝運動の父と呼ばれた人物に柳宗悦がいます。先祖たちの暮らしの中に美を発見しそれを民藝という表現を通して人々に暮らしの美しさや豊かさを再認識させたとも言えます。

「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」という理論も立て、暮らしの美というものが何かを多方面から表現されていました。

柳宗悦は「正常の美」という言葉を使います。そこでは「この世にどんな美があろうとも、結局「正常の美」が最後の美であることを知らねばなりません」といいます。この正常の美とは何か、私の解釈では自然美のことです。自然美とは、真善美の美のことで本質本物そのものということです。

柳宗悦はこう言います。

「『正常』というと何か平凡なことのように取られるかもしれませんが、実はこれより深く高い境地はないのであります。ありがたいことには、健康な性質の品物は、自ずから単純な形を取ることであります」

そして「単純を離れて正しき美はない」とも言います。これは横文字にすると、シンプルイズベストであるということです。単純というものは、余計なものがない美のことです。今の時代のデザインはどこか余計なものをわざわざ装飾してさも新しく見せようとします。しかし私はそういうものはどこか暮らしから外れている感覚があり、できる限り余計なことをしない中に本物の美があるように思います。そしてそういう美を表現できる人はみんな謙虚であり素直な人がほとんどです。

柳宗悦はこうも言います。

「自然さとか謙虚とか質素とか単純とかいうことが、美を育てる根本的な要件であるということです。」

真善美どれにいたるのも真理に入る道の入口ですが、その大前提として以上の根本的な要素や要件を満たしていなければたどり着けることはない様に思います。実際は、徳を如何に高め修めるかで用の美もまた顕現するということでしょう。

自然美というものは、何もしない美のことです。自然が自然のままに美しい様に、その美しいものを美しいままに用いる感性のことです。自然美を離れ、人工的な美しさの中に暮らしはありません。その暮らしをどのように取り戻していくかは、如何に自然と一緒一体になって謙虚に生き方を観直していくかということによります。今の都会では気づきにくいことでしょうが、敢えて都会でも生き方は継続できることを私たちは子ども達のためにも証明していきたいと思います。

最後に、柳宗悦にこうあります。

「近代風な大都市から遠く離れた地方に、日本独特なものが多く残っているのを見出します。ある人はそういうものは時代に後れたもので、単に昔の名残に過ぎなく、未来の日本を切り開いてゆくには役に立たないと考えるかも知れません。しかしそれらのものは皆それぞれに伝統を有つものでありますから、もしそれらのものを失ったら、日本は日本の特色を持たなくなるでありましょう。」

日本の特色がなくなるというのは、日本人がいなくなるということです。この言葉は今の時代を生きる私たちにとって何よりも大切な訓戒です。未来の日本の子ども達のためにも以上のことを肝に命じ、先祖たちの真心を忘れないように恩顧知新を続けていきたいと思います。