もののはじまりを知る

私たちは当たり前に現代のものを何も考えずに使っていますが、元々はどうだったのかということを考えることが少ないように思います。すべてのものには「はじまり」があり、そのはじまりが今につながり意味を持ちますからそのはじまりを知っているからこそ本質のままに理解することができるように思います。

もののはじまりを知るということは、何よりも大切で温故知新していくためにも必要なのです。

どんなものにも歴史がありそこにはルーツがあります。歴史を学ぶということは言い換えるのならもののはじまりを知るということであり、ルーツを辿ることでそのものの本当の価値や意味、その言葉の定義を知るのです。

現在、日本文化として定着している当たり前のものもそのルーツを辿れば原点に出会います。その原点には、祈りがあったり願いがあったり、今のように形式的に変化していく前の本質が遺っています。それを拾い集め、今の時代だったらどうするかとその時代の人物たちがその本質が壊れないように今の時代の価値観に適応させていくことで歴史は伝承されていくのです。

現在では、形の上だけの名前だけ残ってその本質が変わってしまったもの、そうではなく形はなくても市井の有志の人々によって本質を保っているもの、入り混じり存在しています。

本来の姿を守るためには、本質を見極めるその時代の人々の生き方が決めます。

子どもたちに、もののはじまりを知ることはルーツを保つことであるとし歴史から学び本当は何だったかを自分の頭で考えるようにとモデルを示していきたいと思います。ブログでも少しずつ、その辺を書き残していきたいと思います。

和魂の継承

明治の頃、欧化政策というものが新政府によって実施され文明開化というスローガンをもとに西洋の文明を積極的に取り入れていきました。本来ならじっくりと今までの日本の文化の価値観で取り入れていくはずのものが、急場しのぎのために西洋の文化を西洋の価値観そのままに日本を否定し入れ替えるというやり方で行われました。

この時の欧化政策や文明開化というものは、単に価値観の入れ替えであり違う国の子民と文化になろうとしたとも言えます。今、私たちが履いている靴や洋服といった洋装文化もまたこの明治から入れ代わりました。今では町中でほとんど下駄や和装をする人たちを国内で見かけることはなく、京都では外国人の観光客たちが面白がってレンタルしたものを着ている光景を見かけるくらいです。

その後、日本は西洋の文化にしてむかしから大切にしてきた和魂というものを捨てていきました。例えば、和魂の代名詞ともしていて侍の刀、そしてそれまで大事にしてきた日本の価値観としての道徳観や宗教観、暮らしなど一つ一つすべて手放していきました。今ではそんなことを言えば、国粋主義者ではないかなど評されますが明治の頃などは植民地政策が行われていたこともあり排他的になるのは仕方がないことです。

かつて聖徳太子が、神道と仏教と儒教を和合させていきました。その時、和を優先しようとしたのが日本の和魂の原点であり、そこから私たちの国は神話に習い排他するのではなく全体調和して和合することを重んじてきました。明治にはそれも廃仏毀釈によって神仏分離し、宗教の自由として日本の価値観を変えました。また菅原道真が中国から入ってきた文化を和魂で調和して和魂漢才といってその当時の様々なルールや仕組みを日本人の価値観に合うように道理を引き直しました。それも明治に入り、洋才を使って洋魂にしていきました。

本来、歴史の中で日本文化を使って日本人の和魂で調理する方法はその後の日本を創造し世界屈指の文化と文明を江戸時代に開花させたのですがそれも明治によって捨て去ってしまいました。明治に欧米の植民地化から日本を守るためにとった政策がここまで今の日本を変えてしまうとはその頃の先祖たちは果たして観通していたのかなと最近ではよく感じます。一時的に、その場は仕方がないと手放して捨てたものがちゃんと今それが修正され拾われて元に戻されているのだろうかと。

歴史は途切れることはなく、つながりの延長線上に積みあがって今があります。むかしの仕組みや智慧や伝統や暮らしは、日本人が長い年月をかけて醸成し形作ってきたものとも言えます。そういうものに守られながら私たち子孫はこの風土と一体になって今まで生き永らえ世界に貢献していく力を蓄えてきました。

そしてそれは地球でそれぞれの風土で多様化した文化はまさに人類が生き残るための知恵になるはずのものでした。

もしも西洋一辺倒で塗り替えてしまえば、地球は西洋文明だけになってしまいます。そうなれば風土が気候などで激変をしてしまったり、環境が今とは異なってしまった際に、私たちは打つ手が西洋文明の知恵だけになってしまいます。短期的にはそれで乗り越えても、何百年という歳月は西洋文明だけでは乗り越えていくことは不可能です。だからこそ私たちは多様な文化を尊重し、それぞれの善いところ、持ち味を活かし合いながら人類を存続していく必要があるように思います。

日本には神話の時代から今まで続く皇の系譜があります。そして私たちはその子孫です。これだけ永く続く文化と文明を維持していく日本には、人類がどうやってそれを維持していけばいいかといった循環の智慧の宝庫でした。

地球はもともと自然環境が多岐にわたり様々な表情を持つ星ですから、その星の中で生きていく私たちはそれぞれの気候風土に姿を変えて生きていく生き物の一つです。

子どもたちが自分たちがどのように今まで育ってきたか、先祖がどのように価値観を磨いてきたか、その風習や暮らしぶり、いわば原風景を知っていることはこの先の未来に自らで判断して行動できる基準になります。

現在の世界の教育のスローガンは、自ら考える力をつけることです。そのためには考える元になる文化をしっかりと再認識する必要があると私は思っています。子どもたちが安心して自分たちを自分たちで切り拓いていけるように、今、できることを自分の脚下で実践していこうと思います。

和の経営

今の時代は道具の使い方も変わってきています。むかしは、道具は適材適所に合わせてその最適な道具を選別して用いていました。例えば包丁などもむかしは、素材に合わせてその素材の持ち味をもっとも活かすような包丁を選択して料理していました。和包丁は種類が大変多いため、使い手の技術が求められます。それぞれの素材にそれぞれに切り方、そして包丁の扱い方が求められます。しかしむかしの人たちはその包丁を通して、素材の特徴や自分の道具の扱い方を学び、人も道具も同時に研鑽を積んでいたのです。現代では、万能包丁をホームセンターで買えばそれ一本でなんでも切って料理します。本来、和包丁には万能包丁など存在しません。

これが人材の分野でも起きています。実際に万能で優秀な人間がいればいいとし、適材適所ではなく同じ能力を持っている人間ばかりを集めて教育しようとします。本来、万能というものは実は便利という意味で万能であっても、それぞれに特徴が秀でているわけでもなく完璧な優秀という意味ではありません。しかし学校の成績のように平均的にすべて高得点であることが優秀だと刷り込まれ、自分の得意不得意を理解しその持ち味を伸ばすようなことよりもなんでもできるようになることを目指して頑張っている人が増えています。

実際には、一人で生きていくのならそれもいいのですが社会はみんなと繋がり合ってみんなの個性や特性、それぞれの持ち味を活かして働くことが豊かで仕合せになりますから先ほどの包丁のように素材に合わせて適材適所に用いた方がお互いに活き活きしていくのです。

それができなくなるのは、万能がいいという刷り込み、また人材を扱う技術も衰えていきそれぞれの持ち味を使い分け適材適所に配置する感性や能力など磨かれていないからです。和包丁ももしも道具も素材も活かそうとするのならば、職人も道具も同時に磨き合い、お互いにそれぞれの技術を高めていく必要があります。そのためには人間は人格を、道具は品格を磨く必要があるのです。そうやってお互いに切磋琢磨することで、全体が調和する和の料理を実現することができます。

チームワークなども同様に、人が調和するには人格と品格をもって人材を適材適所にそれぞれが配置し合い、仕事の扱い方や使い分け、その時々で持ち味を活かした協働や協力をして調和していくことが必要です。

そのために万能であることを求めず、この時はこの人、この時はこの道具、この時はこの技術と、それぞれに人と道具が姿勢を正しお互いが切磋琢磨し合って高め続けていく必要があります。そういう日々の協働や協力の積み重ねで、美しい味わいを引き出す私たちの伝統の和が実現するのです。

和とは決して包丁に限らず、私たちの先祖代々の生き方や姿勢ですから日ごろからそういう関係性を築くために学び続け高め続け、切磋琢磨して精神を和に原点回帰していく努力精進を続けていく必要があります。便利さで誰でも簡単にというのはいいのですが、それは本当の意味で自分を活かし道具を活かし、お互いが高め合って調和する豊かで仕合せから離れてしまうことなのです。

この世に存在する人も物も、お互いの持ち味が活かされ引き出されれば存在価値や存在意義を感じて人も物もみんな喜ぶのです。そうやって歓びが連鎖することで社會は豊かになっていくのです。

引き続き、和の経営を続けつつ子どもたちに日本の精神を伝道していきたいと思います。

純粋無垢な真心

先日、ある料理店にいき日ごろの御礼にとみんなに食事をご馳走したことがありました。その後から体調が急変し、何人か感染症のような症状で私も含めて寝込んでしまいました。ひょっとしたら原因はそれだけではなかったかもしれませんが、本来は誰かや自分のせいではないのですがみんなが苦しんでいる姿を見ると申し訳なかった気持ちになってしまうものです。

そのようなことを考えているとふと仏陀の最期の話を思い出しました。

仏陀は、説法の旅の最期には、金属細工師のチェンダという仏陀の信奉者が出したキノコ料理で食中毒になり衰弱してそのまま数日後に亡くなってしまいました。

今までは仏陀の動向にばかり注目していましたが、その仏陀の状況をしったチェンダは一体どんな気持ちだったろうか。そしてどれだけ深く心を痛めただろうかと、どうしても共感してしまいます。大切な人にもてなしたことが、それが原因で相手が苦しんだり死んでしまうということがどれだけ辛いことか、その後はどうなったのだろうと思ったのです。

調べてみるとやはりチェンダは非常に落ち込み自分を責めていたといいます。そしてそのチェンダを思いやり仏陀は弟子のアーナンダを使いにやって責めることが決してないようにと次のような伝言を託けます。

「わたしの一生には忘れることができない供養がある。その一つは悟りを開いた直後のスジャータの出してくれた食物、そしてもう一つはチェンダの供養を受けた食物です。それは、最高の功徳です。」と。

それを聴いたチェンダは、地に額をつけて泣きました。私もそれを知って仏陀の思いやりに心が救われました。

知らず知らずに大切なものを傷つけてしまったとき、本当に苦しくそれはどうしても責めるところは自分しかないときもあるものです。自分が間違って怪我をさせてしまったり、不用意な言動で相手の心を傷つけてしまったり、特に幼少期や未熟さゆえにそれが発生し本当に悲しく自分を責めたことが何回もありました。

この仏陀の供養というのは、スジャータとチェンダの純粋な真心のことであり、そのことで私は悟ることができたという仏陀の大切な気づきです。仏陀にとっての忘れることができない供養とは、純粋無垢な仏陀への真心そのものだったのかもしれません。真心からの純粋な行動がどのような結果になったにせよ、その現象の結果ではなく常にその真心の方であると、仏陀の供養を思い大切にして生きていきたいものです。

人にはそれぞれに因縁があり宿命があります。

そこには無数無限の不可思議なつながりがあり、人生はどのようになるのかは誰にもわかりません。だからこそ人としての道を自らの真理で習得し、その智慧によって生きていくしかありません。

仏陀の歩んだ足跡には、その生き方や生き様という智慧が詰まっています。子どもたちの純粋な真心や優しい気持ちを見守っていけるよう智慧や真理を学び続けていきたいとおもいます。

感情の源

人間はそれぞれに感情を持っています。感情とは物言わぬ言葉でもあり、感情が言いたいことが何かは感情に出ているものです。本当は何を言いたいのか、本当はどうしたいのかは感情が語るのです。

その中で特に「怒り」という感情があります。よく何かあると怒っている人がいますが、怒っているのはその怒っている感情を通して何を言いたいのかが分かります。

例えば、相手に「勝手なことをするな」と怒っている人は「自分を蔑ろにしないで」という本心を語っていますし、「なんで気をつかえないんだ」と怒っている人は、「自分を気遣って」と本心を語ります。もしくは黙って怒りのオーラだけ出している人もまた「自分をわかってほしい」と語っているのです。このように怒っていることの背景には常にその人の本心があり、それはあくまで本心から表出してきた一つの動作や言葉という反応であり、その反応に反射的に対応しているだけでそれで拗れたりトラブルに発展することがほとんどです。

人間はそれぞれに価値観が異なりますから、その人なりに自分の信じ込んでいる世界があります。それを誰かに無碍にされたり他人によって壊されることを避けているものです。怒りの感情はほとんどが、「自分を尊重してくれていない」とその人が感じるから出ているとも言えます。その自分を尊重してくれたかどうかは、自分の価値観(信じている世界)のことを認めてくれているか、自分の価値観を立ててくれているか、自分の価値観もわかってほしいということを求めているのです。

本来は成熟してくると、自分の信じている世界があるようにみんなそれぞれに信じている世界があると多様性を認められますが自分の信じている世界のみがすべてになってしまうと周りとの人間関係が築きにくくなります。もしもみんなそれぞれに自分の信じている世界のみがすべてだと思い込み、自分が正しいと自分の価値観だけの正当性を証明しようと躍起になれば人間関係がギスギスしてしまいます。

色々な価値観があり、それぞれの信じている世界が面白いと寛容な気持ちを持てるようになれば、それもいいね、これもいいね、それも一理ある、その発想はなかったと、認め合えるようになります。そうなれば人間関係も円滑になり、それぞれの持ち味を活かし合えるようになります。

感情の源になっているものが何かと思いやることでその人の価値観を知り、その価値観を尊重することでその人は自分の信じている世界を大切にされた、つまりは自分を大事にしてもらっているという自己肯定感を持つことができるように思います。

感情を押し殺したり、感情を武器のように振り回すのではなく、この感情の本心は何だろうとみんなで思いやる訓練をすることが内省の本質であり、社會をよりよくするためにその訓練を日ごろから実践してみんながお互いの絆を深めあい安心して仕合せに生きることを目指すのが一円対話です。

引き続き、自分たちの実践を通して本心に寄り添い本心を隠さずにオープンでいられるような多様な持ち味が活かせる世の中になるように精進していきたいと思います。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

戦争と平和~人の道~

現在の歴史を紐解く中で、表には出てこない陰に隠れた歴史があります。その歴史を省みながら人は時間と共に何が原因で今、こうなったのかという結果を尋ねていきます。その繰り返しによって、改善されさらに未来をよりよくしていくことができます。

その時は、最善だと思えたことでも時間が経てば最悪の結末を迎えるものもあればその時は最悪だと思っていても最良の結果になることもある。短絡的に部分だけをみて判断するのではなく、長期的に全体をみてどうあるべきかを考えていくなかで物事を如何に見通していくかは歴史を学ぶことにより磨かれていくものです。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし戦争の歴史から学ぶことが本当に多く、私たちは一時的な平和に怠けて大変なことを忘れないようにしなければなりません。それが御先祖様の体験を子孫が活かすことになるからです。

例えば戦争と平和を考えた歴史の言葉もたくさん残っています。

「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません」(内村鑑三)

「いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。」(ベンジャミンフランクリン)

「平和というものは、人間の世界には存在しない。しいて平和と呼ばれているのは、戦争の終わった直後、またはまだ戦争の始まらない時をいうにすぎない。」(魯迅)

戦争はどんな理由があったにせよ、戦争のために行われます。だからこそ戦争をしないためにどうするかを考えなければなりません。

戦争の反対に平和を持つのではなく、絶対的な平和をどう築けるか。その平和は人としての道であるように私は思います。人道を究めることこそが平和を築くことであり、徳を盡すことこそ和を保つ秘訣であるようにも思います。

最後にマハトマガンジーの言葉です。

「平和への道はない。平和こそが道なのだ。」

一人ひとりが人としての道を修めていくことで平和の存在を確かめることができます。そういう社會になるために、人の道を弘めていく必要があります。先祖の暮らしの智慧にはそれがたくさん詰まっています。

引き続き伝統と暮らしの甦生を続けながら道を深めていきたいと思います。

歴史の教訓

以前、知覧にある知覧特攻平和会館を訪問する機会がありました。そこでは、特攻隊の方々の生活や遺書、そして遺品など様々なものが展示されておりました。私たちは今、何気なく生活をしていますが終戦間際、日本や子孫のために命を懸けて死んでいった方々の祈りや願いの上にこの平和な暮らしが存在していることを忘れてはならないと思います。そしてこの特攻隊の教訓から一体何を学ぶのか、それをきちんと子孫へと伝承していく必要を感じます。

私がこの特攻で憤り悲しいのは、戦略なき戦術、戦術なき戦略、何もできないからいのちを捨てろと幼い子どもたちに特攻をさせたことです。神風は、奇跡を起こすために一か八かの戦略ではなく元寇のときなどもあらゆる戦略を駆使し、その時代の侍たちが夜襲をかけたり、土地の理を活かしたり、相手の武器に対応したり、また国民のみんなが祈り願うことで危機を乗り越えていた最中に起きたことです。まさにこれも戦略であり、戦術に適ったものであったのは明らかです。つまり人事を盡していたからこそ真心が天に通じて奇跡を呼び込んだのです。いのちを粗末にしない、いのちを尊ぶからこその神風なのです。

しかしこの終戦間際の特攻は、そういった戦略も戦術もなく、ただいのちがけでいのちを捨てて突っ込めば何らかの奇跡は起きるだろうという安易な精神論を走らせ、人事を盡したわけでもなく真心があったのではなく、幼い子どもたちを死地に向かわせていきました。こんな無知無策の状態でいのちを投げ出させるようなことは決して指導者や指導部にあってはならないことです。負けるとわかっていて、無謀にいのちを捨てさせるということがあっていいのか、それは敵と戦うよりも卑劣で卑怯な行いで絶対にあってはならないことです。

そして軍神などと褒めたたえ、無理に死なせておいて終戦後に今度は無駄死にだったと蔑む、こんなことが果たしてゆるされていいのかと憤りを感じます。道徳として、こんな犠牲になった先祖たちを忘れたり蔑ろにしたりそういうものは人間としてあってはなりません。

今の時代はすぐに戦争のことを書いたり、靖国神社のことを書けば、勝手に偏見でこの人はこういう人だとレッテルをはられます。しかし、よく考えてみてください。もしも自分の親や自分の祖父、もしくは子どもや孫が、誰かの卑怯な作戦で死んでそれをなかったことにされたり、そうやって騙されながらも素直に犠牲になったものを弔わずに蔑むなどはありますか?あるはずはないはずです。

非道さや不道徳さというのは、むかしから私たち日本人のもっとも忌み嫌い恥ずべきところです。仇討ちに見られるように、私たちは人間として道に照らして外道であることは恥だと生まれる前から持っている道徳なのです。

道徳というものは、当たり前すぎて議論にもなりませんがそういう当たり前のことを自分の頭でよく考えて、自分なりに歴史の真実と向き合い、生き方を見つめ直す必要があると私は思います。

今の時代は、周辺国との関係が次第に悪くなり戦争の機運も高まってきています。もう一度、歴史に学び、どう生きていけばいいか、何を教訓にするか振り返る必要があると思います。子どもたちが悲しい歴史をまた体験しなくてもいいように、今の私たちができることを真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

道理

世の中には道理に精通している人という人物がいます。その道に通じている人は、道理に長けている人です。道理に長けている人にアドバイスをいただきながら歩むのは、一つの道しるべをいただくことでありその導きによって安心して道理を辿っていくことができます。

この道理というものは、物事の筋道のことでその筋道が違っていたら将来にその影響が大きく出てきます。そもそも道は続いており、自分の日々の小さな判断の連続が未来を創造しているとも言えます。

その日々の道筋を筋道に沿って歩んでいく人は、正道を歩んでいき自然の理に適った素直で正直な人生が拓けていきます。その逆に、道理を学ぼうとしなければいつも道理に反したことをして道に躓いてしまいます。

この道理は、誰しもが同じ道を通るのにその人がそれをどのように抜けてきたか、その人がどのように向き合ってきたかという姿勢を語ります。その姿勢を学ぶことこそが道理を知ることであり、自分の取り組む姿勢や歩む姿勢が歪んでないか、道理に反していないかを常に謙虚に反省しながら歩んでいくことで道を正しく歩んでいきます。

成功するか失敗するかという物差しではなく、自分は本当に道理に適って正しく歩んでいるか、自分の歩き方は周りを思いやりながら人類の仕合せになっているかと、自他一体に自他を仕合せにする自分であるかを確かめていくのです。

その生き方の道理に精通している人が、佛陀であり孔子であり老子でありとその道理を後に歩くものたちへと指針を与えてくださっているのです。

道理を歪めるものは一体何か、それは道理を知ろうとしないことです。

相手のアドバイスを聞くときに、自分の都合のよいところだけを聞いて自分勝手にやろうとするか。それともよくよく道理を学び直して、自分の何が歪んでいるか姿勢を正し、すぐに自分から歩き方を改善するか。

その日々の一歩一歩が10年たち、30年経ち、60年経ち、未来の自分を創り上げていきます。将来どのような自分でありたいか、未来にどのような自分を育てていくか、それは今の自分の道理を見つめてみるといいかもしれません。

そういう意味で、道理を見せてくださる恩師やメンター、そして先達者や歴史上の先祖は、偉大な先生です。そういう先生の声に耳を傾ける謙虚で素直な人は、道理に反することはありません。

私もいただいた道理をもっと多くの方々に譲り渡していけるように感謝のままで自分を使っていきたいと思います。

甦生のめぐり

自然界のすべてのものはめぐり循環して甦生していきます。その甦生は常に繰り返され、新しくなれば古くなり、また古くなれば新しくなるというように何度もめぐりを続けます。

循環を止めようとすれば、古いものを否定して新しいものだけを生み続けたり、もしくは新しいものを否定して古いものだけを保持しようとするときに循環は止まります。循環しないものは、甦ることがありませんからそこで止まっていてもそのうち中途半端に劣化して消えることもなく漂ってしまうものです。

自然の仕組みは循環そのものであり、留まることなく常に甦生を繰り返していきます。

人間は我がありますから、循環に逆らい甦生を遅らせようとします。本来あるべき循環をそこで止めれば歪に全体が変わってしまいます。その都度、不自然な出来事が発生して甦生が澱んでしまうのです。

甦生というものは、使い切り消えきることで巡ります。

如何に流れに逆らわず、天命に従いいのちを大切に使い果たすかは循環と甦生を信じることで実現するようにも思います。

もっとも永く遠くまでいくものは、甦生のめぐりが長けているものです。

何度も何度も無限に繰り返される甦生の中で、常に素直に使い切り使い果たして消滅していくものこそが甦生のめぐりを活性化します。そしてすべての使命を通過するものがもっとも澄んだいのちを使い切ります。そのように甦生のめぐりはいのちの使命であり、すべてのいのちの原点です。

引き続き、甦生を深めながら子どもたちの未来にいのちを譲っていきたいと思います。