変化を遡る

歴史を辿りながらそもそもどのように変化してきたかを遡ることは本来のカタチを知る上で大切なことです。昨日は、寺小屋の歴史を調べているなかで色々なことが観えてきました。

日本に仏教が伝来したのは仏陀が生まれてから約1000年後のことです。日本書紀によると552年、元興寺縁起などでは538年に百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したこと仏教のはじまりとも言われます。そして推古天皇の時代に「仏教興隆(こうりゅう)の詔(みことのり)」が出され、各地で寺院建設が行われます。命ある者がこの世で受ける恩の中でも最も大切な親の恩に対して、感謝をし冥福を祈るために仏像を身近に置きたいと考えるようになりました。その後は、聖徳太子によって神道や仏教や儒教が和合され日本の風土に適ったものになり盤石な基礎が入ったとも言えます。

その当時は、仏教は一部の貴族や武家など上流階級の人々の間でのみ取り入れられました。人口のほぼ9割は農民でしたから1割の間で仏教は信仰されていたのです。それが1100年代、鎌倉時代になると山で修行していた僧侶たちが市井の人々の苦しみを取り除きたいとし山を降りて農村に仏教を弘め始めます。

仏教が伝来してからその仏教は学問や戒律、政治、僧侶のために行われていたものが厳しい修行をした僧侶ではない一般の人々でも仏様の加護を受けられるという具合に変わりました。つまりは一部の階級でなくても、みんな仏教を信仰することができるようになったのです。ここから爆発的に仏教は民衆の間に普及していきます。

それと同時に、様々な宗派に分裂していきます。かの浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞なども民衆に分かりやすく念仏を唱えればいいとし、信仰することの重要性を説いていきました。他にも道元、栄西、一遍、日蓮など宗祖たちもまたこの時代に誕生しました。そして各地に寺院が建立され、それぞれの教えがそれぞれに広がりそれがやがて一向宗と呼ばれるように大きな勢力を持つようになっていくのです。

その後は江戸時代になると宗教統制をするようになり、寺社奉行などが置かれお寺も管理されるようになっていきます。キリスト教など外国からの新しい宗教が入ってくることへの対策でもあったのです。そして明治維新の神仏分離、廃仏毀釈によってそれまでのお寺の特権が奪われ宗教よりも政治が優先されるようになります。さらに先祖祭祀が仏教に組み込まれたのもこの頃です。本来は日本人は、先祖祭祀、祖霊信仰があり自分の御先祖様をお祀りしてきました。山に祖霊が宿るとして山に寺院や神社が多いのもまたこの祖霊信仰があったからです。その祖霊信仰が仏教に組み込まれ仏壇に先祖が祀られるようになったのはこの頃のことです。本来は祖霊信仰は仏教ではなかったのです。そして敗戦後は、宗教が戦争に協力したとしそれまで寺院が持っていた土地なども収用され小作人の人たちに分配されます。そして政教分離し、信教の自由が法的にも認められ宗教は完全に個々人の自由であるとされました。新興宗教が乱立して現れてきたのもこの時代からです。そして今に至ります。

かなり簡単に辿りましたが、そもそもはじまりは何だったか、そして何で広まったのか、その後、何が起きて今に至るのか。一つ一つを自分で紐解きながら、むかしはどんな役割を果たしていたのか、そしてなぜその必要性があったのかで時代背景を洞察することができます。

はじまりがわかれば、何のためにやっているのかが自明するものです。そうやって温故してはじめて本質を知ることができるものです。

引き続き、子どもたちがどのように保育されてきたか。どのように見守られてきたのかを辿っていきたいと思います。