感情の源

人間はそれぞれに感情を持っています。感情とは物言わぬ言葉でもあり、感情が言いたいことが何かは感情に出ているものです。本当は何を言いたいのか、本当はどうしたいのかは感情が語るのです。

その中で特に「怒り」という感情があります。よく何かあると怒っている人がいますが、怒っているのはその怒っている感情を通して何を言いたいのかが分かります。

例えば、相手に「勝手なことをするな」と怒っている人は「自分を蔑ろにしないで」という本心を語っていますし、「なんで気をつかえないんだ」と怒っている人は、「自分を気遣って」と本心を語ります。もしくは黙って怒りのオーラだけ出している人もまた「自分をわかってほしい」と語っているのです。このように怒っていることの背景には常にその人の本心があり、それはあくまで本心から表出してきた一つの動作や言葉という反応であり、その反応に反射的に対応しているだけでそれで拗れたりトラブルに発展することがほとんどです。

人間はそれぞれに価値観が異なりますから、その人なりに自分の信じ込んでいる世界があります。それを誰かに無碍にされたり他人によって壊されることを避けているものです。怒りの感情はほとんどが、「自分を尊重してくれていない」とその人が感じるから出ているとも言えます。その自分を尊重してくれたかどうかは、自分の価値観(信じている世界)のことを認めてくれているか、自分の価値観を立ててくれているか、自分の価値観もわかってほしいということを求めているのです。

本来は成熟してくると、自分の信じている世界があるようにみんなそれぞれに信じている世界があると多様性を認められますが自分の信じている世界のみがすべてになってしまうと周りとの人間関係が築きにくくなります。もしもみんなそれぞれに自分の信じている世界のみがすべてだと思い込み、自分が正しいと自分の価値観だけの正当性を証明しようと躍起になれば人間関係がギスギスしてしまいます。

色々な価値観があり、それぞれの信じている世界が面白いと寛容な気持ちを持てるようになれば、それもいいね、これもいいね、それも一理ある、その発想はなかったと、認め合えるようになります。そうなれば人間関係も円滑になり、それぞれの持ち味を活かし合えるようになります。

感情の源になっているものが何かと思いやることでその人の価値観を知り、その価値観を尊重することでその人は自分の信じている世界を大切にされた、つまりは自分を大事にしてもらっているという自己肯定感を持つことができるように思います。

感情を押し殺したり、感情を武器のように振り回すのではなく、この感情の本心は何だろうとみんなで思いやる訓練をすることが内省の本質であり、社會をよりよくするためにその訓練を日ごろから実践してみんながお互いの絆を深めあい安心して仕合せに生きることを目指すのが一円対話です。

引き続き、自分たちの実践を通して本心に寄り添い本心を隠さずにオープンでいられるような多様な持ち味が活かせる世の中になるように精進していきたいと思います。

  1. コメント

    「感情の背景には、その人の本心がある」ここを改めて確認しておきたいと思います。感情的な言葉や態度に振り回されないように注意し、その「感情」はどんな本心を語っているか?!「いちばん相手が望んでいること」は何か?!それを思いやることで相手の「価値観」を知り、それを尊重することで「自分が信じている世界」を知ることができます。相手を思いやり、立てることができる「寛容さ」というものを、改めて学び直してみたいと思います。

  2. コメント

    様々な感情がありますが人によって表れる感情に偏りがあるように思います。ニコニコしている人は人生の中でもニコニコしていることが多く、イライラしている人は人生の中でもイライラしているのではないかと思うと、研究したらどんな結果が出るのだろうと思います。そう思うと、どう生きたいか、どう生きるかが顔にも表れてくるように感じます。人の感情、自分の感情にも気を配っていきたいと思います。

  3. コメント

    人の何に寄り添うことが、見守ることなのか。その解釈を1つまた深めて学ばせて頂いたように感じます。一円対話で学び、知り、その観点から実践を重ねて行きたいと思います。

  4. コメント

    感情という字を紐解くと「情を感じる」と受け取ることが出来ます。情とは「人間味のある心。他人をいたわる心。人情。情愛。思いやり。」とありました。「情けは人の為ならず」という諺もありますが、やはり他をいたわり思いやる心がそのまま自分へと返ってくるもののように感じられます。大事に実践していきたいと思います。

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