心徳の実践

横井小楠は、心徳の学の必要性を世の中の政治の中心に据えるように説きました。そしてそれを日本式政治のモデルとして世界に発信していこうとしました。これからという時に、命を絶たれ無念があったようにも思います。しかしその志は、維新の志士に受け継がれその願いは今も生き続けているように思います。

よく考えてみると、明治頃の日本は世界から新しい価値観や文化が流入しそれまでの伝統的なものを見直す必要に迫られていました。西洋からやってきた個人の利益重視の仕組みは確かに爆発的に人間の私利私欲と合致して世界に広がっていきました。そして国家というシステムが仕上がっていた西洋の思想は瞬く間に世界に広がり今に至ります。

現在は、アメリカと中国で貿易戦争が勃発していますがその本丸は国家の在り方についての戦争だともいわれます。現在も続いているこの過去の国家のシステムと近代国家のシステムは常に衝突を繰り返して結局は戦争になってしまっています。

横井小楠は、民衆のために戦争を避けるためにどうすればいいかということを突き詰めていきました。横井小楠の思想を本人の文章を読んでいると味わい深い真理が記されています。

「其心徳の学無き故に人情に亘る事を知らず、交易談判も事実約束を語るまでにて其詰る処ついに戦争となる。戦争となりても 事実を詰めて叉償金和好となる。人情を知らぱ戦争も停む可き道あるべし。華盛頓一人は此処に見識ありと見えたり。事実の学にて心徳の学なくしては西洋列国戦争の止む可き日なし。心徳の学ありて人情を知らぱ当世に到りては戦争は止む可なり。 すなわち、利益の追求の承を目的とする「事業の学」は国家間の衝突を惹起し、つまる所は戦争になるというのである。」

事業の学をするのではなく、心徳の学がいるということ。富国とは武力や利益ばかりを追い求めるのではなく、文化や徳によって実現するということを日本がそのはじめのモデルを示そうと志したのです。

世界が、現在のように混迷期を迎えこれから何を目指していけばいいのかを模索する近代においてまさに日本が目指すべき理想をもっともはやい段階から種まきをしていた人物だったのではないかと思います。

その種が芽を出し、花をつけ実になり種になる。

まさに今は、実を結ぶときではないかとも思います。吉田松陰や坂本龍馬、その他の維新の志士たちが目指した世界の中での日本という国の在り方を私たちが受け継いでいることを忘れてはならないように思います。

まちづくりもまた同様に、まずどのようなまちにするのか、どのような国にするのか、どのような世界にするのかから今の自分の布置を見極める必要性を感じます。

子どもたち、また子孫たちが安心して平和に暮らしていけるように今まさにできることを実践していきたいと思います。