本来のはじまり~祈りの原点~

神仏習合と神仏分離という言葉があります。日本にはもともと八百万の神々という思想がありますから、本来はすべてのものには神様が宿っているという自然信仰ですが歴史の中で色々と意図的に変化させられてきたとも言えます。

神仏分離や廃仏毀釈においては明治政府が発令した神仏分離判然令を含む、神仏分離に関わる法律の数々、その目的はそれを起草した人々の思想を少し紐解くとわかります。

例えば、津和野藩の藩主亀井茲監、福羽美静らが主導となって、神仏分離令と呼ばれる種々のお布令が出ます。これは、祭政一致・国家神道の確立を目的にして国家をまとめる宗教の体系化、国家を精神的に一つにまとめること。そして徳川の時代の否定として徳川幕府の時代に人民の管理をする役所のような働きをしていた寺院からの支配権の奪取や、思想的な改革をすること。

この明治の頃の神仏分離令は、西欧列強に負けないように国家を一つにまとめ上げる為に行われました。この神仏分離令は仏教を中心に排除しましたが同時にキリスト教等の排除も行ったといいます。

そして廃仏毀釈がはじまります。仏像、建造物、経典等々、後世に蛮行と言われる考えられないような破壊を繰り返したのです。これにより寺院は半数が日本から消えたと言われ、残った寺院でもその規模は大きく縮小したといわれています。

ここまでして結果的には政府の目論見は失敗したといいます。国家をまとめるために利用した神道を国民全体に布教するために設立した神祇省も機能せず結果的には数年で廃止し、代わりに仏教側の手助けを借りて設立した大教院・教部省ができますが、それもすぐに廃止され国家神道を国民に行きわたらせることはできませんでした。

神仏分離により、それまでの神仏習合の神様まで名前も分離され仏教の影響を取り除こうとしました。そして本来の寺院の名前も新しく塗り替えられたために、うちの地元のように妙見宮という名前がなくなり日若宮になったり、八龍宮が水祖神社になったりとそのまま変わったままです。

そして戦後、昭和20年にはGHQが政府に対して発した覚書(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ 保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)とし、覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を徹底しました。

このように今、私たちが見知っている宗教はそれまでの過去の歴史のものとは別のものになっています。本来のはじまり、神仏習合からの現在までの歴史も書き換えられたのはほんのこの100年前後のことです。

自分たちが暮らしの中で祈り育んできた道徳は、頭で認識するものとは別に遺伝子じめ伝統と伝承の中で私たちの文化の血肉に根付いています。その証拠に、日本人は有難いや勿体ないやご縁、そして慎まさや礼儀正しさ、正直さなどをもっている人ばかりです。

引き続き、本来のはじまりを深めながら子どもたちにあるがままを伝承していきたいと思います。