観えない質量

事物は一つの事だけに一つの作用というということはありません。一つの事物には複雑で偉大なつながりがありますから一つの作用は全体に大きな影響を与える複雑な作用になります。

例えば、一つの作用に対してどれだけ本質を突き詰めたかどうかでは全体に与える影響が変わっていきます。練習の一投と、本気の一投ではその全体に与える影響が異なります。

どれだけ事物に本気に、どれだけ深め、そして極め、何よりも本質のままに取り組むからこそ多大な影響を全体に与えるのです。そしてそれを可能にするのは、その人の初心に対する向き合い方や、正直に取り組む本気の覚悟、また志を貫き実践する真心によって決まります。

事物には、そこに可視化することができない観えない質量が存在するということです。これは「祈り」にも似ています。真摯に祈り、実践し行動することの中には無駄がありません。それは祈りが与える影響が複雑な作用を産み出すからです。

人が議論をするとき、すぐに作用のある側面ばかりについて話します。そのために「何のために」ということの本質は語られにくくなっています。それを突き詰めている人だけが本気の議論ができ、そうでない人は意味が分からないから話が深まらないのです。

人はその行動において、また事物はその現象において「何のために」が問われています。どの行動にも現象にも理由があり、その理由こそが本質に適うからこそ明確な影響を実感することができるのです。

私が取り組んでいることも、なかなか理解されることがありません。ただの奇人変人の部類のように思われているかもしれません。しかし、子どもたちの未来を案じ、今の自分たちが磨くことの大切さを肝に銘じ、私の身体と心のすべてでできる実践のみを積み重ねています。

いつの日か至誠の積み重ねによって志を継いでくれる方が顕れ、先人たちの真心をあるがままに伝承できるように祈り育てていきたいと思います。