家が喜ぶか

最後の宮大工として有名な棟梁に西岡常一さんがいます。この方の言葉を深めていると、現在私も取り組んでいるところに共鳴することが多く、学び直すことがたくさんあります。

現代の考え方に対して、本来の在り方はどうであったか。建物を通して飛鳥の工人たちから学んだ西岡棟梁の伝承は、私たちの生き方や考え方にも影響を与えるように思います。

少しその言葉を紹介してみたいと思います。

「建築基準法も悪いんや。これにはコンクリートの基礎を打回して土台をおいて柱を立てろと書いてある。しかし、こうしたら一番腐るようにでけとるのや。20年もしたら腐ります。明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。」

「電気の道具は消耗品や、わたしらの道具は肉体の一部ですわ。道具を物としては扱いませんわ。それと道具も自分だけの物やと考えるのは間違いです。形ひとつにしても今決まったんやない。長い長い間かかって、使うにはこの形がいいと決まったんですから。」

「今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない。」

「西洋のノコギリと日本のノコギリとは違いますな。西洋では押しますし、日本ではひきます。これは、性格の違いや。押すというのは細かい仕事ができないということでんな。精密な仕事ができませんな。西洋人の頭のなかいうのは、わりに雑なもんでっせ。」

「水洗便所になってから、こういうふうに、どぶになってしまったんですな。今は水洗便所にせんと文化じゃないと思ってますけど、自分の家だけ文化というんで便利にし、自然を汚してるんでっせ。そんなの文化とは違います。自然と共に生きているというのでなければ、文化とはいえませんな。」

「科学が発達したゆうけど、わしらの道具らは逆に悪うなってるんでっせ。質より量という経済優先の考え方がいけませんな。手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、量じゃありません。いいもん作らなあ、腕の悪い大工で終わりでんがな。飛鳥の時代から一向に世の中進歩してませんな。」

この言葉は、古民家甦生をする中でいつも同感するものです。民族伝承の智慧よりも、現代の付け焼刃の科学の方が絶対的に価値があると信じて法律やルールで歴史を壊していくことは必ず未来に大きなツケを残していくはずです。

本来の日本らしさ、日本人らしさ、日本の文化を正しく継承してこそ本物の技術が発展していくように私は思います。そして多様性を維持するだけでなく、このままでは環境破壊につながるとも仰っています。

「いまは太陽はあたりまえ、空気もあたりまえと思っとる。心から自然を尊ぶという人がありませんわな。このままやったら、わたしは1世紀から3世紀のうちに日本は砂漠になるんやないかと思います」

そして私が古民家甦生において大切にしている家が喜ぶかに通じる格言で締めくくります。

「千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ―それが建築の本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工の務めです」

子どもたちが安心して暮らせる世界に貢献できるよう、逆行小舟の道を果敢に歩んでうと思います。