お茶のご縁

昨日、守静坊である仙人のような方からお茶を立てていただき一服頂戴するご縁がありました。その方は、千利休の時のお茶を甦生させようと真摯に自らを磨いておられる方でした。

茶道具もすべて自分でつくり、その美しい道具のもつ雰囲気に清廉と静寂を感じました。ありとあらゆるものを深くそして高く遊び、まさに一線を超えているその卓越した技に、心が共感しました。私も、自分で色々なことを創造し、その物と対話しながら自分を盡していきますから物をみればその取り組む心が伝わってきます。

素晴らしい先輩がいることを知り、この道の面白さにさらにワクワクする想いがしました。

その方との話で売茶翁(ばいさおう)のことをはじめて知りました。この方は、日本ではじめて喫茶店を開いた方でもあり煎茶の祖ともいわれています。その生き方がとてもユニークで、1675年生まれの方ですが今でもその生き方は人々の心の中で語り継がれています。

この売茶翁というのは名前ではなく、お茶を売る翁(おきな)という意味のあだ名です。本名は柴山元昭、幼名は菊泉といいます。僧侶としての名前は月海で、晩年は高遊外と名乗りました。

禅の心を持つ雲水の中には、本来の雲水そのままである人がおられます。この世にいてまるで五次元のところでゆらりと遊んでいるような風貌の方です。心を自由自在に操りまるで雲水そのものです。

この方の面白いエピソードは、死期を悟り売茶業を廃し、自分の茶道具も燃やしてしまうものです。これは自分の死後、俗世に渡り、売買されるようなことになってしまえば茶道具自身が悲しむだろうと思い一緒に燃やしてしまったそうです。本来の雲水そのものが雲水そのものの道具と共に旅をし遊ぶ。まさに禅の生き方と共にしてきたパートナーだからこそ、一心一体だったのでしょう。

心を遊ぶというのは、奥が深くまだまだ私にはわからないことばかりです。千利休はどうだったのでしょうか。もうお会いできませんが、同じように千利休の求めた心を求めて、売茶翁が行った実践を参考にして、私自身も茶を遊んでみたいと心から感じました。

素晴らしい出会いに心から感謝しています。