智慧の甦生

守静坊にあった古い道具や食器などを洗っていると、随分と傷んでいました。200年以上前の御椀ですから当たり前ではありますが、どのように修繕すればいいかを色々と調べています。

この時代の御椀はどれもしっかりしていて重厚感があります。今みたいに機械がありませんから一つ一つ、手彫りで行われたこともわかります。それに厚めの漆も塗られていますが、漆がだいぶ剥がれています。直せば何回も使えるものとわかっていますが、今の時代は周囲にそれができる職人も少なく自分でやろうとすると色々と悩んでしまいます。

むかしは、どうしていたのかなと想いを馳せます。

ひょっとしたら自分でやっていたのではないか、御椀にある文字や漆の塗り方をみていたらそれを感じます。むかしは、多くの時間がありました。特に厳しい冬はいろいろな内職をやっていたかもしれません。みんなそれぞれに手に職を持ち、民芸品などの生活用品をつくっていたといいます。

草鞋や蓑などのわら細工のもの、また竹細工のもの、手先も器用になったはずです。

今では機械に任せて、ほとんどの手仕事がなくなっていきました。確かに便利にはなりましたがその分、どのようにそれを直していたのか、どのように修繕をすればいいかといった智慧や伝承も失われていきました。

両方あってもいいのですが、どうしても人間は便利な方、楽な方、安易な方へと流れていきます。特にお金が優先される経済になってから余計に、加速度を上げて変化していきました。

今、私が取り組んでいる甦生はまるでその逆の方へと進んでいます。しかも、機械も否定せずにです。だからこそ、そのバランス感覚を磨く必要があると思っています。

子どもたちのためにも、智慧を甦生して新たな未来を創り続けていきたいと思います。