問題と仕組みの本質

二宮尊徳先生の発案した講に、五常講というものがあります。これは世界初の 信用組合 と言われ、仁・義・礼・智・信の五つの徳に由来して名づけられたものです。 無利子・無担保(但し返済時には冥加米を支払った)で1人あたり100日を期限として貸し出し、不払いについては共同責任として組合員が負担したという仕組みです。

この仁義礼智信の仕組みとはどういうことか。これを童門冬二さんの著書「二宮金次郎」(集英社文庫)でわかりやすく解釈しています。

「多少余裕のある人から、余裕のない人にお金を差し出すことが必要です。いわば推譲といっていいでしょう。これが仁です。そして、借りたほうが約束を守って正しく返済することを義といいます。また約束を守った後、必要な資金を推譲してもらったことを感謝して、その恩義に報いるために冥加金を差し出したり、また、返済について貸付金に当てるときも、決して威張ったりしないこと、これを礼といいます。また、どのようにして余財を生じ、借りた金を早く返すか、つまり約束を迅速確実に守るかである仁義礼智信の五つが必ずともなっているのです」

つまり、お互いにこの仕組みを使っている間に仁義礼智信の徳の実践を行っているという仕組みです。制度はあくまで、人間を教育しながら制度を実現するという知恵が入っています。

私はブロックチェーンに取り組む中で、技術革新というものは人間の影響次第で善いことにもなり悪しきにもなることを感じています。もともと教育に携わってきたからこそ、人間の問題を解決しない限り、そのほかの問題は根源的に解決することはないからです。

結局は、それを生み出すのも使うのもそして発展させるのも人間ですから人間が真に徳に目覚め育っていなければ仕組みや制度は人間の欲をさらに助長させていく一役ににしかなりません。それぞれが自利のことばかりを優先していく中で、いくら制度や仕組みを換えてもそれは所詮時間が経てば問題の前よりもややこしい問題へと発展していくのです。これは歴史の必然の一つです。

だからこそ人は人のことを解決しなければなりません。孔子や仏陀をはじめ、徳を求めた人たちは、その順番を重んじました。二宮尊徳先生もまさに人間の問題をどうするかに向き合ったからこそこのような仕組みを発案し、「報徳仕法」を実践されたように思います。

三浦梅園先生もまた同じように、慈悲の村になるための仕組みに取り組みました。人間として最も大事なものは何か、それを優先してそれに相応しい仕組みを実践していくのです。

今の時代は、仕組みばかりが盛り上がり、人間がどうかという教育のことはあまり出てきません。GAFAをはじめ、人間をまるで物のように見立ててはその人間の欲がうまく巡るように金融の仕組みを組み立ててはそのシステムの開発に余念がありません。

人間が自分で自分の問題を解決しようとしないというのは、自立とは程遠い姿です。そして便利なものでそれを解決しようとするところに技術革新も環境革新も問題があります。そんな便利に人間が自分のことを育てようとせずに、仕組みだけで解決させれるはずはありません。そしてそれが果たして人類の未来や子孫にとってどうかと考えたときに、安易な選択はできないものです。

歴史に学ぶというのは、どの時代でもどう普遍的な問題に真摯に向き合ってきた生き方があるか。人間は何をもっとも優先することが必要なのか。改めて、シンポジウムではこの辺のことを話し合いたいと思います。