暮らしの価値

世の中では、人々が物の価値をつけていきますから本物だから高いわけでもなく偽物だから安いというわけではありません。価格というのは、他人の価値で決まっているものですからその価格はそれを求める人と与える人で変わってきます。特に今の時代は、便利さに加え情報格差や情報操作などいくらでも私たちの認識を変えるものがありますからなかなか難しい時代です。

例えば、食糧難や資源が不足すると宝石や貨幣はあまり価値がなくなります。それは宝石や貨幣は目先の食糧にはならないからです。本当の危機が来れば、今の時代の価値は一掃されて別の価値が発生します。砂漠で飲み水が高額なのは、不足するからです。不足すると価値が出て、それを手に入れようと人は躍起になるものです。

その逆に、物が溢れて便利で何でも手に入る時代は食糧や資源は価値がなくなります。そして貨幣や宝石はじめ贅沢品が価値がでます。この数年の変化をみていたら、人々の物に対する価値も変わってきています。それだけ流行や時代の変化によって、価値は変動し続けているのです。商売人というのは、それをよく観察して人々の価値に合わせて取り扱うものや売り方などを変えていきます。

しかし、よくよく観察していると普遍的な価値というものがあります。それは健康に対するものであったり教育であったり、あるいは時間、場所、それに安心や幸福というものです。

一般的に、人は競争することや目先のメリットを追い求めていると普遍的なものの価値よりもそうではないものに価値があると信じ込んでいきます。思い込みで生きていると、本当に自分にとって価値があるものとそうではないものもわからなくなっていきます。

私たちの暮らし方を観察していると、それがよく分かります。暮らしというのは、人間の生き方でありどのように暮らしていくかによって価値も変化させていくことができます。むかしの懐かしい暮らしには、むかしの懐かしい価値がそのまま残っているものです。

私が実践する暮らしフルネスは、そういう懐かしい心や大切な価値を守り続けていこうとした人々の記憶と一緒に生きていくことに似ています。年末に入り、世間は猛スピードで市場経済の活性化に尽力していますがふと足を止めてみると変わらずに流れている自然のリズムや宇宙のいのちの鼓動があります。

丁寧に一つずつ、呼吸をするように暮らしを味わっていきたいと思います。