お迎えする心

昨日は、12月13日ということで聴福庵の煤払いを行いました。一年間、お世話になった竈の周辺や台所、神棚をきれいに掃除して浄化していきます。みんなで朝から作業をして、夕方までには終了しました。一見、綺麗にみえても灰や煤は隅々まで広がっていて煤払いをしたあとの空気中の埃や塵がずっと舞い上がっていました。

むかしからこの日に、煤払いをする行事を日本人は実践してきましたがきっと同じように灰や煤の埃まみれで掃除をしたのだろうと懐かしい感じにほっこりしました。煤払いが終わった後に、神棚に一年間の感謝をし、正月を迎えるための準備がはじまります。

気が付くと暮らしもしっかりと調ってきて、仕事しかしていなかった頃が懐かしく思います。私たちは、色々なものに囲まれて暮らしを調えています。その暮らしの道具たちや暮らしの場にどれだけ感謝できているでしょうか。立ち止まることもなく、見向きもしない日々を過ごしていたら当たり前の感謝にも気づき難くなることです。

本来、神様をお迎えするというのはおもてなしの実践です。私たちのおもてなしとは、神様に対してなのでお客様は神様ということになります。そういう気持ちで丁寧に浄化して場を清め調えるというのは私たちの先祖から今にいたるまで連綿と繰り返してきた日本の伝承の一つです。

私は、聴福庵に倣い学んだのはそのおもてなしの心です。すべての道具や場が、お越しになる方々へ向けられ静かにその様子を見守っていく。心は、四方八方すべてに調和しそれがすべて慈悲の心になっていること。

居心地のよい場所というのは、お迎えする心がある場所です。そういう場所にするところには、たくさんの神様がお越しになるようにお客様もまたお越しになるように私は思います。

来年は辰年で、歳男です。ご縁からまた古民家甦生を新たに一軒、手掛けることになりましたがその辰年に相応しい場所になりました。聴福庵で学んだことを基本にして、神様を迎えるような場所に丁寧に丹誠を籠めて仕上げていきたいと思います。