恵みに感謝

全国各地に商売繁盛の神として知られる七福神の一人に、「えびす」さまがいます。ちょうど十日えびすのお祭りがあっているので少し深めてみます。

この「えびす」さまは、ウィキペディアの分類によれば「日本の神。七福神の一柱。狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的。また、初春の祝福芸として、えびす人形を舞わせてみせた大道芸やその芸人のことも「恵比須(恵比須回し)」と呼んだ。外来の神や渡来の神。客神や門客神や蕃神といわれる神の一柱。神格化された漁業の神としてのクジラのこと。古くは勇魚(いさな)ともいい、クジラを含む大きな魚全般をさした。寄り神。海からたどり着いたクジラを含む、漂着物を信仰したもの。寄り神信仰や漂着神ともいう。」とあります。

「えびす」さまの名前はとても有名ですが、以上のように外来の神様や渡来の神様、海からの漂流物など、はっきりとしないあらゆるものが混ざり合った姿として存在があります。また一説によれば古代の鴨族が田の神様として祀っていたとか、海人族安曇氏の氏神様であったとか、謂れがあります。この古代の安曇族は本拠地は北九州の志賀島一帯で遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った有力な豪族だったといいます。水軍を持ち、あちこちに移住しその勢力を拡大した一族です。

もともと日本という国は島国で海路と海の恵みによって豊かな暮らしを育んできました。内陸も今よりも内海や河川が自然のままで、船によって内陸との交易を発達させてきました。

海がある御蔭で私たちは世界とつながります。今では空もありますが、古来は海が中心でしたから多様な文化を受け容れる神様の御蔭で人類は交流を持ったように思います。

そしてこの「えびす」さまは、その象徴だったように思います。

今では商売繁盛のご利益が有名で、よく大黒天と一緒にむかしはお祀りされていたといいます。私の古民家でも常に厨房やおくどさんにはえびすさまと大黒様を一緒にお祀りします。これは豊かさの象徴に感謝するためでもあり、その見守りの中で暮らしが成り立っていることを忘れないようにするためでもあります。

海の恵み、田の恵み、自然の恵みによって私たちは生きていくことができます。いくらお金があっても、これらの自然の恵みがなければ私たちは生きていくことができません。

今、ちょうど十日えびすで私のいるBAでも恵比寿様をお祀りしていますが改めて恵みに感謝する日にしたいと思います。

 

役割を磨く

それぞれにはそれぞの役割というものがあります。太陽には太陽の役割、地球には地球の役割、そして月にもそれぞれに役割があります。みんなそれぞれにその役割を全うしていて、全体として一つとしてお互いの役割を享受しあいます。それをミクロにすれば、ほんの小さな細胞や菌類もまたそれぞれの役割を果たします。シンプルに観れば、それぞれにそれぞれでいるだけです。それが役割の本質です。

誰かのために役割を果たそうするのは、本来のその役割ではないように思います。誰かから与えられた役割を果たすというのは、わかりやすいですが本当はそれぞれに役割があると考えることの方が本質です。

しかし現代は、幼い時から誰かの都合で役割を与えていますから役割は誰かから与えられるものと思い込みます。役割は自分を全うするときに自然発生的にやってくるとはなかなか思えないものです。

例えば、先ほどのことであれば太陽に月をしろといってもできませんし、地球に月をしろとはできません。ひょっとすると数十億年の単位では役割が交代することもあるかもしれませんが現時点ではそれは必要ありません。

役割というのは、その時々に今を真摯に生きているからこそ自然にそれが発生するのです。今を真剣に生きているとき、それまでの役割が移動していき新たな役割もまた誕生します。しかし自分がどうあることがみんなを幸せにするのか、そして自分が最も仕合せなのかを追及していくさきに役割が醸成されます。

頭で考える役割よりも、自分らしく自分を真摯に生きていることが役割だと思えることは安心なことです。

安心しあう世の中というのは、そうやってみんなが役割を味わい、役割を感じ合う生き方です。別に税金を納めなければ価値がないとか、五体が満足に動けなくても高齢であっても、存在そのものに偉大な価値があるのです。

役割という価値に気づくことは先ほどの太陽や月や地球に感謝することと同様に偉大ななことだと私は感じます。それぞれの役割に感謝して、役割を大切に磨いていきたいと思います。

今という奇跡と奇蹟

私たちは日々に奇跡を生きている存在です。本来は当たり前はないのですが、次第に頭で当たり前を思い込んでいくものです。例えば、日常生活が普通にできることや、家族や仲間がいなくなることもなく、健康で怪我も事故にあうこともないと当たり前を設定していきます。しかし、ふとそうではない事件に遭遇したり思い込んでいる当たり前が消えたときにはじめて当たり前はなかったということに気づくのです。

この当たり前はなかったというのに気づくのは、死別などが最もわかります。昨日までいた存在が消えてなくなるのだからそれまでの当たり前はなくなります。親がいて当たり前、子どもがいて当たり前、親友がいて当たり前という日常が突然消えてなくなるのです。もちろん病気や災害、他にも多数の出来事が当たり前がないことに気づかせてくれますが何かが失われてはじめて気づくのがこの奇跡というものです。

つまりは、私たちの日常こそが奇跡であり何か特別なことが発生することが奇跡ではないという事実。奇跡しかないこの事実に対して、自分はどう奇跡を感じているかというものが人生の醍醐味とも言えます。

そしてこの奇跡には、また「奇蹟」というものもあります。一般的な奇跡は理屈で説明できない摩訶不思議な現象のことをいいます。しかしこの「奇蹟」は神様が何か意思を持って起こしたものといいます。自然現象と神様が起こしたものという奇跡です。実際には、奇跡は自然発生だと感じるもので、もう一つはそれをどう受け止めるかが奇蹟というもののように解釈できます。

私たちの暮らしは、二度とない一瞬でありもう同じことがあることはありません。同じことが起きていると錯覚するのは脳の処理の間違いであり同じように観えても、同じことは決して起きません。まさに一期一会なのです。

私も今は骨折して以前のように歩けませんが、本当は当たり前に歩けたことも奇跡だったということ。そして今も歩けないことは当たり前ではないということ。どれも人生において一期一会で有難いということ。

感謝で生きていくということはつまり当たり前ではないと生きていくことです。

今に集中するとは、この当たり前ではないことに集中するということでもあります。二度とない今を大切に、いただいている一期一会を素直に感受し謙虚に取り組んでいきたいと思います。

真心を磨く

人は物事を観察するのにどの時点で観ているかによってその評価が変わってくるものです。目先のことだけを見て判断するのと、一貫して長期的に観て判断するのとではその奥深さも広さも変わってきます。例えば人物を観るときも同じです。その人がどのような人かを観察するのに世間や目先の評価ではわかりません。その人は人生を懸けて何を実現しようとしているのか、どのような初心を持っているのかでやっている行為や物事の本質がわかります。さらに言えば、どうありたいかという生き方は行為や物事とは関係がなくその人物の呼吸一つ、行動一つに顕現されていくものです。だからこそ、心ある人に触れると人は感動するように思います。

以前、教養とは人の心がわかる心という言葉を聞いたことがあります。この教養とは知識がある人のことをいうのではなく、その知識を実際の暮らしの中で実践できる人を言います。つまりは、知識としてのテクニックで生きているのではなく知恵もあり真心で生きているということです。

真心の人というのは、感謝や思いやりの心に溢れています。そしてそれを活かして実生活を営むのです。日本人の懐かしい暮らしを学んでいると、そこから元々の日本人の姿が垣間見れます。

小さな生き物や植物をはじめ自然を愛でる心であったり、もったいないと最後まで大切にいのちを使う繊細な気遣い、また五感を優先しすべてのご縁にたいして誠実であったり、感謝や素直さを忘れない明るい誠実な態度であったりと真心の人が観えてきます。

頭だけがよくなっていくら知識が増えても、心が通じ合うわけではありません。人は頭がよくなくても心で行動していれば人を感動させ心が分かち合えるものです。

有難いことに私の周囲には真心の人たちがたくさんいて、いつもそのことに救われ、あるいは癒され、幸福を味わっています。真心で生きる人たちと一緒にいることは、真心を磨き合うことができるということです。

この世に生まれてきて美しいことが体験できることほど仕合せなことはありません。自分がどうありたいか、それは生き方が決めます。先人たちに恥ずかしくないようにまた子孫のためにも真心を磨き続けていきたいと思います。

暮らしフルネスの場

音には波動というものがあります。正確には空気を振動しているのですが、ここには単に振動させるだけでなく何か別のものが合わさってきます。それを反響音とも言いますが、これもまた波動の重なりと響きです。

例えば、単に音を出すのと心を練って音を出すのは異なります。これは調理と同じで、マニュアル通りにつくるのと丹誠を籠めてつくるものとは異なります。それは何処に出るのか、調理なら味に出ます。舌先ではなく、心の味が伝わってきます。音であれば単に聞こえるのではなく、聴いています。これは感覚の方のセンサーで察知することができるという意味です。

そして場というものにもそういうものがあります。場にも心は宿ります。単に場所があるのではなく、その場にいくと心が落ち着いてくるのです。それは単に日々に忙殺されて業務をしているのではなく、場をつくる暮らしをしているのです。これが私の実践する暮らしフルネスです。

心で生きている人は、いつも心の方を観つめ感じています。頭で処理をするのをやめて、耳は心を傾け、目はあるものを観て、舌は余韻を味わい、風の薫りを感じ、手触りで物事を感受してご縁を結んでいます。人はこの感覚を使うとき、多幸感に包まれるものです。そして同時に深い感謝の気持ちがこみあげてくるのです。

この世にいて生きていると実感するのは、きっとこのような感覚を生きることです。それがなくなることを人は忙しいというのでしょう。今では忙しいことが当たり前、猛スピードで自転車操業することは普通のこと、時間がないことを自慢しあうような風潮のなかではその感覚はみんな失われていくように思います。

感覚というのは不思議で、感謝のように継続的に日々に磨いている人でないとセンサーが閉じていくように思います。閉じたものをたまに開けるではセンサーは磨かれません。

だからこそむかしの人たちは、日々の暮らしのなかでセンサーが鈍らないような工夫を凝らしていたように思います。私の言う、暮らしとはこのセンサーが働き続けていることをいいます。単に非日常のことや、道具をそろえたり、好きなことをやることをいうのではなく日々を磨き続ける実践のことです。

私の中で暮らしを通して当たり前を変えてからは、場がより磨かれてきたように思います。場道家として恥ずかしくないように、真摯に実践をして子どもたちに場を調え、場を譲り伝承していきたいと思います。

お米と結ぶ

今年は稲やお米に関わることが増える年になる予想があります。そのため改めて日本の稲作の信仰から学び直しています。稲荷信仰というものもあり、日本ではむかしからお稲荷様をお祀りしてきました。私もむかしから佐賀の祐徳神社に深いご縁があり、折をみては参拝し、場の道場にも祐徳石風呂にお祀りしては祈祷をしています。

そもそもこの稲荷信仰の始まりはいくつかの説があります。弥生時代からという説があり、私も稲作と同じころにはじまったのではないかと感じます。以前、京都の鞍馬寺でむかしの和鑑に稲と蜘蛛とトンボなどが共に描かれているものを拝見したことがあります。お米を守る生き物たちを同じ神様としお祀りしていたことがわかります。

他にも稲を守る生き物たちは、カエルがいたりカマキリがいたり色々とあります。そしてむかしはキツネがとても重要であることが分かります。民俗学の柳田国男氏は、かつて狐を田の神の使令と考え稲田の近くに塚を築いてこれを祀ったのが狐塚であること後に稲荷の小社が勧請されたちいいます。田んぼの周囲で子育てをし、野ネズミなどを食べて田んぼを守った動物として狐を田の神の使令さらには田の神が仮に狐に姿を託しているものと考えたといいます。

今ではキツネを見かけることはありません、動物園にいるくらいです。他にも山にはオオカミがいて田んぼを荒らす生き物を追い払っていました。人間にとっては、時には敵対するような生き物たちを神様として大切にかかわることでお互いに共生関係を築いたことがわかります。

日本人は和に通じていて、なんでも仲良くなろうとします。疫病の神様をお祀りしておもてなしをし、早々に満足して立ち去ってもらおうと神社を建立して供物や神楽を捧げたりもします。

なぜ今も神様としてお祀りしているのか、そこには日本人の精神性や生き方が大きく影響していることがわかります。つまり信仰とは、その民族の生き方なのです。今では環境としての自然が失われ、なぜこれをお祀りするのかなどの意味の伝承も場から失われています。だからこそ、今の時代も本質を磨いて、意味を甦生し、後世の人たちに伝承する使命を感じます。

お米について取り組めることはとても仕合せです。色々なことを手探りでつかみ、多くの人たちに結んでいきたいと思います。

真の自然

英彦山の宿坊の庭のお手入れをして土を調えていたらむかしの暗渠が出てきました。一般的に暗渠とは、地下に設けられていて外からは見えない水溝のことをいいます。 流水面が見える水路を開渠または明渠と呼ぶのに対して、暗渠は外部からは見えず、地下に埋設されたり蓋をされたりしている導水路や排水溝のこともいいます。

お水をたくさん産み出す英彦山に棲むというのは、それだけ自然の水とうまく折り合いをつけて暮らすということです。最近、お山での暮らしということで一つ確信してきたのはやはりお水と暮らすということです。

昨年、暮らしてみると一年中ずっと四季折々、その時々のお水のことを考えていますし、お水まわりのお手入ればかりをしています。

最初はお山の暮らしというのは、野草や狩猟を中心にした食生活、また気温差が激しい場所での生活スタイル、あるいは木々や森を活用した修養などと考えてはいましたが、実際に暮らしてみるとそれはあくまで副産物であることに気づきます。

そして本命はお水だと気づくのです。

よく考えてみると、人間をはじめすべての生命はお水がなければ生きてはいけません。しかもそのお水は大自然の恵みですから人間でコントロールすることはできません。最近、どこかの国が雲をつくり雨を降らす装置を使っていましたがあんなものはコントロールとは呼べません。水道の蛇口をコントロールするくらいの技術です。地球全体の水をコントロールすることは不可能です。だからこそ、私たちはお水とどう上手に付き合い暮らしを調えていくかが重要なのです。

そもそも英彦山というのは、福岡県でもっともお水を貯めこみお水を産み出す山です。なので、一年中お山から水が湧いてきます。それは大変ありがたいことですがそこに住むとなると水が多すぎて家の中は湿気や寒さ、洗濯物はほとんど乾きません。冬でこそ乾燥していますが、それでも水気はずっとあります。その証拠に、宿坊内はいつもヒンヤリと冷え切っていて明らかに外とは違います。底冷えするむかしの古民家に近い状態、常に水気が湧いている状況です。

また宿坊が建っているいるところはお山の斜面です。土の中にはごつごつした岩が大量にあり、その隙間をお水が流れています。この山頂から流れ出てくる水と、引き止めつつも排出し続けるという工夫が石壁や水路、そして暗渠を通して実感できます。

むかしの人たちはこのお水を扱う知恵と術を持っていたということです。現代は、特殊な暗渠用の配管などで水を流しますがむかしはそんなものはありません。岩を組み合わせて上手に蓋をしてその空間を土中に設けました。その御蔭で、斜面にあっても土地が流されず建物が沈まず数百年も保持されています。

守静坊は、11代目ですから少なくても300年は経っています。改めて、先人たちが自然とどう向き合って如何に暮らしを為していたかを実感し尊敬の思いが湧いてきます。

引き続き、不自然と自然を往来しながらも現代にとって甦生した真の自然を追及していきたいと思います。

親友の仕合せ

幼馴染がはじめて家族と一緒に聴福庵に来てくれました。小学校5年生の時からの友人で色々なことを星を観ながら毎晩のように語り合った仲です。転校してきたのですが最初からとても気が合い、お互いにタイプも異なることもありとても尊敬していました。

音楽が好きでアコースティックギターを弾き、また工作が好きで半田鏝を使い近くのパチンコ屋さんの廃材で色々なものをつくっていました。他にもパソコンが得意でプログラムなどもかいていました。私はどちらかというと野生児のように自然派でしたからとても理知的で新鮮でした。

中学では同じ部活に入り、レギュラーを競いバンドを組んでは一緒にライブなどを行っていました。塾も一緒で成績でも競い、その御蔭で勉強もできるようになりました。思い返せば、尊敬しあい好敵手という関係だったように思います。

高校卒業後は、私は中国に留学し彼は岡山の大学に行きました。そして社会人になって一緒に起業をして今の会社を立ち上げる頃にまた合流しました。毎日、寝る時間を惜しみ休みもなく働き努力して会社を軌道に乗せました。私の右腕であり、苦楽を共にするパートナーでした。しかし、その後、お互いに頑張りすぎたり結婚をはじめ色々な新しいご縁が出てきてメンタルの不調や社員間の人間関係の問題、過去のトラウマや祖父母の死別など様々な理由が見事に重なり別れることになりました。

そこからは孤独に新たな道をそれぞれに歩むことになりました。もっとも辛い時に、お互いにそれぞれで乗り越えなければならないという苦しみは忘れることはありません。あれから20年ぶりにお互いの親友の通夜で再会してまた語り合うことができています。

離れてみて再会してわかることは、その空白の20年のことを何も知らないということです。当たり前のことを言っているように思いますが、その間にお互いに何があったのか、伝えようにも関係者や周囲がお互いの知らない人ばかりになっていてどこか他所の他人の話になります。私たちの知り合いは20年前に止まったままでその頃の人たちももうほとんど今ではあまり連絡を取っていません。

人のご縁というのは、一緒にいることで折り重なり記憶を共にするものです。同じ空間を持つ関係というのは、同じ記憶を綴り続けている関係ということです。喜怒哀楽、苦楽を共にするときお互いのことが理解しあい存在が深まるからです。

今では、親友は新しい家族を築き子どもたちも健やかで素敵な奥さんとも結ばれて仕合せそうでした。20年たって、一番嬉しかったのは彼が今、仕合せであることでした。

そう思うと、最も自分が望んでいるものが何かということに気づかされました。私が一番望むのは、私に出会った人たちがその後に仕合せになっていくことです。だからこそ、真心を籠めて一期一会に自分を尽力していきたいと思うのです。

いつまでも一緒にいる関係とは、仕合せを与えあう関係でありたいと思うことかもしれません。親友との再会は、心が安心し嬉しさで満たされました。苦労の末に掴んだ彼の仕合せに感謝と誇りに思いました。

善い一年のはじまりになりました、ご縁に心から感謝しています。

心の純度

人間には心があります。しかしその心がどうなっているのかを観察していると、心には純度というものがあることに気づきます。極端にいうと真心のままであるのか、心のように見えて実際には心無いことをしているのかというようにその人物が素直であるかとうかで心の純度は異なっているのです。

別の言い方に、純粋というものがあります。これもまた純度を表現する言葉で混じりけがないことや穢れのなさ、私利私欲や私心が入っていないなどともいいます。そもそも初心という言葉もあるように、人は最初は誰もが純粋な心のままです。赤ちゃんなども純粋です。

それが生きているうちに次第に計算高くなりあれこれと考えるようになります。考えているうちに打算や損得勘定や保身などあらゆるものが混じりこんできて次第に心が曇ってきます。心が曇っていることすらわからなくなってくると、あれこれと誰かの何かをする理由をいちいち考えては評価したり裏を読んだりと悧巧になってくるものです。

そうなると自然とは程遠い姿になり、不自然になっていきます。ある意味、文明というものはそういうものかもしれません。文明人になるというのは、心を誤魔化し利巧に生きていく術を手に入れた人ともいえます。

しかしそこから心の病というものが増えていきます。本心を誤魔化し、純度が失われていくと不自然が重なり病気になるのです。病気でも怖いものは、病気そのものであることがわからなくなることです。みんなが病気ならそれが健康だと思い違いするようなものです。

だからこそ最初の心をいつまでも失わないようにしていくことが大切になります。それが心の純度を保つことです。心はいつも目的に忠実です。何のために生きるのか、どう生きたいのかを常に忘れることはありません。忘れるのは、心ではない自分を生きているからです。

心は常に一心同体で離れずに自分と共にあります。純度が濁れば隠れてしまい、純度が磨かれていけばいつも表に出ています。真心の人たちはみんな心から行動し、そのあとに知識や知恵を活かします。それが文化人というものであり、伝承され続けてきた自然循環の叡智だと思います。

子々孫々のために、何を渡していけるのか。これは今の世代を生きる人たちに託された一世一代の大事業です。大事業こそ心の純度が求められます。

真摯に初心を忘れずに、歩みを強めていきたいと思います。

蕎麦との関係

昨年より本格的に蕎麦打ちをはじめていますが、なぜか蕎麦との相性がとてもいいのか失敗することがありません。もちろん奥深さはどの料理にもありますが、私が美味しいと感じるものにはいつも同じように素材の深い味わいが引き立ち満足しています。

これは炭料理とも関係していてやはり素材がどうやったら美味しくなるのかを追及するときに感じる豊かな味わいです。ちょうど色々な産地の蕎麦を試しているのですが、それぞれの産地の風味が色濃く出ていて飽きることがありません。

昨日は、「霧下そば」を食べました。これは地名ではなく山裾の標高500〜700mの高原地帯で昼夜の気温差が大きく朝霧が発生しやすい場所のことを「霧下地帯」といい、ここで栽培される蕎麦のことです。こういう場所は朝霧が霜に弱いそばをやさしく守り、寒暖差のメリハリが素材をさらに美味しくしていきます。産地で有名なのは妙高、黒姫、戸隠、木曽などです。

そして本日は、「韃靼そば」を食べます。この蕎麦の名前は1840年頃、ドイツの植物学者ゲルトネルが命名した『タタール人のそば』という意味の学術名から来ています。もともとモンゴルに住んでいたタタール人という民族によって古くから栽培されてきた蕎麦です。これは中国では「苦そば」と呼ばれています。

この韃靼そばは先ほどの霧下蕎麦よりもさらに厳しい環境でも育てられます。中国では雲南省、貴州省、四川省、山西省、内モンゴル自治区、またインド、ネパール周辺の1,500~4,000mの高地でも栽培されているといいます。

韃靼そばに含まれる「ルチン」は、普通のそばの120倍以上もあるといいます。そしてほかの食品との比較してもその抗酸化力の高さは見事です。このルチンは摂取すると血糖値や血圧をおさえたり、生活習慣病や冷え性を予防・改善したり、糖尿病を予防し、冷え性の改善、美肌などがあるといいます。

成分もですが、厳しい環境の中で生き延びてきた植物のいのちをいただくことは自分たちの寿命にも影響があることはすぐにわかります。飢饉のときや飢餓のとき、蕎麦を頼ったというのはその生命力に肖りたいという気持ちもあったように思います。

私たちが食べて馴染んでいるものには、むかしから何度も助け合ってきた関係性があります。時代が変わっても、大切な知恵や健康が保てるように日本人としての食文化を伝承していきたいと思います。