真の自然

英彦山の宿坊の庭のお手入れをして土を調えていたらむかしの暗渠が出てきました。一般的に暗渠とは、地下に設けられていて外からは見えない水溝のことをいいます。 流水面が見える水路を開渠または明渠と呼ぶのに対して、暗渠は外部からは見えず、地下に埋設されたり蓋をされたりしている導水路や排水溝のこともいいます。

お水をたくさん産み出す英彦山に棲むというのは、それだけ自然の水とうまく折り合いをつけて暮らすということです。最近、お山での暮らしということで一つ確信してきたのはやはりお水と暮らすということです。

昨年、暮らしてみると一年中ずっと四季折々、その時々のお水のことを考えていますし、お水まわりのお手入ればかりをしています。

最初はお山の暮らしというのは、野草や狩猟を中心にした食生活、また気温差が激しい場所での生活スタイル、あるいは木々や森を活用した修養などと考えてはいましたが、実際に暮らしてみるとそれはあくまで副産物であることに気づきます。

そして本命はお水だと気づくのです。

よく考えてみると、人間をはじめすべての生命はお水がなければ生きてはいけません。しかもそのお水は大自然の恵みですから人間でコントロールすることはできません。最近、どこかの国が雲をつくり雨を降らす装置を使っていましたがあんなものはコントロールとは呼べません。水道の蛇口をコントロールするくらいの技術です。地球全体の水をコントロールすることは不可能です。だからこそ、私たちはお水とどう上手に付き合い暮らしを調えていくかが重要なのです。

そもそも英彦山というのは、福岡県でもっともお水を貯めこみお水を産み出す山です。なので、一年中お山から水が湧いてきます。それは大変ありがたいことですがそこに住むとなると水が多すぎて家の中は湿気や寒さ、洗濯物はほとんど乾きません。冬でこそ乾燥していますが、それでも水気はずっとあります。その証拠に、宿坊内はいつもヒンヤリと冷え切っていて明らかに外とは違います。底冷えするむかしの古民家に近い状態、常に水気が湧いている状況です。

また宿坊が建っているいるところはお山の斜面です。土の中にはごつごつした岩が大量にあり、その隙間をお水が流れています。この山頂から流れ出てくる水と、引き止めつつも排出し続けるという工夫が石壁や水路、そして暗渠を通して実感できます。

むかしの人たちはこのお水を扱う知恵と術を持っていたということです。現代は、特殊な暗渠用の配管などで水を流しますがむかしはそんなものはありません。岩を組み合わせて上手に蓋をしてその空間を土中に設けました。その御蔭で、斜面にあっても土地が流されず建物が沈まず数百年も保持されています。

守静坊は、11代目ですから少なくても300年は経っています。改めて、先人たちが自然とどう向き合って如何に暮らしを為していたかを実感し尊敬の思いが湧いてきます。

引き続き、不自然と自然を往来しながらも現代にとって甦生した真の自然を追及していきたいと思います。

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