日本の子ども観

日本にはむかしから大切にされてきた「子ども観」がありました。日本の諺にも、千の倉より子は宝、金宝より子宝、子に勝る宝なし、子宝千両、貧乏人に子は宝、子は第一の宝、子は人生最上の宝、年とれば金より子、我が子に替える宝無し、など沢山のものがあります。

子どもは決して大人にとって自分に都合のよい「宝」ではなく、生まれながらに宝の存在であるという子ども観があるということです。この宝は金銀や紙幣などの富のことを指しているのではないことはすぐにわかります。では何を宝というのかということです。

もともと人間は、生まれながらにして徳というものが備わっています。この徳は、道心とも言い、現代ならば道徳心とも言います。生まれながらにして思いやる心や優しい心があるということです。赤ちゃんを見て誰もがほほ笑むのはその赤ちゃんの赤心に触れるからです。

時折、野生の動物たちや昆虫たちも小さな存在である赤ちゃんに対しては種族を超えて守り育てようとします。それは赤ちゃんという存在に、自然に特別な何かを感じているからです。

この宝という言葉を私がもっとも理解するのに印象深かったものは天台宗の宗祖の最澄の遺した下記の言葉です。

『照千一隅、此則国宝』(一隅を照らす、これ則ち国の宝なり)

この一隅とは、自分の今いる場所を指します。意訳ですが、その場その場で一人ひとりが道徳を実践することこそが国の宝になるといになるという意味です。

そしてこう続きます。

「国宝とは何ものぞ、宝とは道心なり」と。

最澄は宝を道心と定義しました。むかしブログで紹介したこの道心とは、私の言葉では「初心」のことです。この初心は、その人がそもそも備わっている真心、もしくは大和魂や純粋な精神などと言ってもいいかもしれません。一人ひとりがはじめから持っているその初心を、それぞれが人生の中で大切に守ることができるのならそれが天下の国宝になるということです。

むかしの親祖や御先祖さまたちは本来、人間というものをどう捉えていたか。そこから受け継いできた本物の子ども観を見つめ直せば、日本の子ども観の真実が観えてくるものです。

引き続き、初心伝承を通してその初心によって一人でも多くの人たちの仕合せが引き出されていくように子ども第一義の実践を追求していきたいと思います。

 

ドイツのはじまり2

ドイツの歴史が近代に入ってきますが、ユンカー出身のオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン首相に就任し、鉄血政策を推進しドイツ帝国が成立します。しかしその後の首相、ヴィルヘルム2世は親政開始と同時に帝国主義的な拡張政策に転換します。

このヴィルヘルム2世は、ヨーロッパを巻き込み第一次世界大戦を勃発させます。アメリカも参戦し、1918年キール軍港の水兵の反乱を契機としてドイツ革命が発生すると、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命します。ここでドイツ帝国は崩壊し、ヴァイマール共和国となります。

敗戦後、ドイツは(ヴァイマール共和国)は敗戦国として結ばされた講和条約のベルサイユ条約は非常に過酷な条件を課せられました。賠償金の支払いは困難を極めドイツ国内ではインフレが進み、賠償金の支払いが滞る事態となります。ミュンヘン一揆なども発生し、民衆の不満はどんどん加速していきました。

しかしシュトレーゼマン内閣の時期には賠償金の支払いに関しても条件が緩和され、インフレ対策も功を奏し、経済と政情も少し安定してきます。さらにロカルノ条約を締結し、国際連盟に加盟しようやくドイツは国際社会に復帰することとなります。

安定もつかの間、アメリカに端を発した世界恐慌に巻き込まれ経済が急速に悪化し混乱します。この時、あの有名なアドルフ・ヒトラーが台頭してくるのです。

政権を獲得したヒトラーは国内的には公共事業により経済の立て直しを図る一方で、「ニュルンベルク法」に代表される人種政策を実行します。さらに軍備を急速に拡張し、国外に向けて侵略を次々に開始していきます。ポーランドに侵攻した際に、イギリス・フランスはドイツに対して宣戦布告をし第2次世界大戦が勃発します。ドイツの勢いが強く、はじめにフランスが降伏、さらにイギリスを除く西ヨーロッパを制圧する勢いで勝利を重ねます。

しかし、ソヴィエト連邦のスターリンと結んだ「独ソ不可侵条約」を破棄し独ソ戦争に発展し、急速に勢いが衰え各地のドイツ軍は敗戦が続きます。最後にはベルリンがソ連軍により包囲され、総攻撃が行われヒトラーは自殺し1945年5月、ドイツは連合国に対して無条件降伏するのです。

敗戦後、連合国の占領、管理下に置かれたドイツは、1949年5月、米・英・仏の占領下にあった地域では自由主義・資本主義国家としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)ができ、ソ連は同年10月に占領地域を共産主義国家としてドイツ民主共和国(東ドイツ)ができます。東西ベルリンの間に「冷戦の象徴」とも言われた「ベルリンの壁」が設けられ対立がはじまります。

そしてソ連の書記長ゴルバチョフが始めた「ペレストロイカ」の波が東ヨーロッパに押し寄せた結果、東欧各地で民主化が起こります。1989年11月、東西ベルリンを隔てていた壁の検問所がなかば自発的に開かれ、ベルリンの壁が破壊されます。これにより東西の往来が可能になりドイツが再び統一され大国としてEUの中核国になります。

敗戦後の復活は日本と似ていて、西ドイツを中心に経済を発展させ著しい成長を遂げました。統一後もドイツは、ものづくりや貿易によって世界の経済大国の一つに返り咲きます。

現在のメルケル首相は、2005年11月22日に首相に就任してから「ドイツのお母さん」と称され、高い支持率を誇りEUの盟主としてイニシアティブをとってヨーロッパ経済をけん引しています。しかし、ここにきて中国との経済協力の見直し、増え続ける難民と移民の問題、ロシアとの関係、ギリシャ危機、イギリスのEU離脱、他にも好調だったドイツに影が見え隠れしています。

これからどのようにドイツは歴史の舵を切るのか、日本も似た境遇にあったドイツの取る道筋が参考になることも多いと思います。

さて、簡単に歴史を辿りましたがドイツはこうやって何度も分裂と統一を繰り返し多様性を維持しながら発展させてきた国家です。世界の中でのドイツがどのようになっていくのか、現在の教育や保育の中にもその未来への種が隠れています。

今回の視察では、伝統文化や歴史、現在のドイツの事情を洞察しながら日本の未来を直観する研修にしたいと思います。

 

 

もののはじまりを知る

私たちは当たり前に現代のものを何も考えずに使っていますが、元々はどうだったのかということを考えることが少ないように思います。すべてのものには「はじまり」があり、そのはじまりが今につながり意味を持ちますからそのはじまりを知っているからこそ本質のままに理解することができるように思います。

もののはじまりを知るということは、何よりも大切で温故知新していくためにも必要なのです。

どんなものにも歴史がありそこにはルーツがあります。歴史を学ぶということは言い換えるのならもののはじまりを知るということであり、ルーツを辿ることでそのものの本当の価値や意味、その言葉の定義を知るのです。

現在、日本文化として定着している当たり前のものもそのルーツを辿れば原点に出会います。その原点には、祈りがあったり願いがあったり、今のように形式的に変化していく前の本質が遺っています。それを拾い集め、今の時代だったらどうするかとその時代の人物たちがその本質が壊れないように今の時代の価値観に適応させていくことで歴史は伝承されていくのです。

現在では、形の上だけの名前だけ残ってその本質が変わってしまったもの、そうではなく形はなくても市井の有志の人々によって本質を保っているもの、入り混じり存在しています。

本来の姿を守るためには、本質を見極めるその時代の人々の生き方が決めます。

子どもたちに、もののはじまりを知ることはルーツを保つことであるとし歴史から学び本当は何だったかを自分の頭で考えるようにとモデルを示していきたいと思います。ブログでも少しずつ、その辺を書き残していきたいと思います。

純粋無垢な真心

先日、ある料理店にいき日ごろの御礼にとみんなに食事をご馳走したことがありました。その後から体調が急変し、何人か感染症のような症状で私も含めて寝込んでしまいました。ひょっとしたら原因はそれだけではなかったかもしれませんが、本来は誰かや自分のせいではないのですがみんなが苦しんでいる姿を見ると申し訳なかった気持ちになってしまうものです。

そのようなことを考えているとふと仏陀の最期の話を思い出しました。

仏陀は、説法の旅の最期には、金属細工師のチェンダという仏陀の信奉者が出したキノコ料理で食中毒になり衰弱してそのまま数日後に亡くなってしまいました。

今までは仏陀の動向にばかり注目していましたが、その仏陀の状況をしったチェンダは一体どんな気持ちだったろうか。そしてどれだけ深く心を痛めただろうかと、どうしても共感してしまいます。大切な人にもてなしたことが、それが原因で相手が苦しんだり死んでしまうということがどれだけ辛いことか、その後はどうなったのだろうと思ったのです。

調べてみるとやはりチェンダは非常に落ち込み自分を責めていたといいます。そしてそのチェンダを思いやり仏陀は弟子のアーナンダを使いにやって責めることが決してないようにと次のような伝言を託けます。

「わたしの一生には忘れることができない供養がある。その一つは悟りを開いた直後のスジャータの出してくれた食物、そしてもう一つはチェンダの供養を受けた食物です。それは、最高の功徳です。」と。

それを聴いたチェンダは、地に額をつけて泣きました。私もそれを知って仏陀の思いやりに心が救われました。

知らず知らずに大切なものを傷つけてしまったとき、本当に苦しくそれはどうしても責めるところは自分しかないときもあるものです。自分が間違って怪我をさせてしまったり、不用意な言動で相手の心を傷つけてしまったり、特に幼少期や未熟さゆえにそれが発生し本当に悲しく自分を責めたことが何回もありました。

この仏陀の供養というのは、スジャータとチェンダの純粋な真心のことであり、そのことで私は悟ることができたという仏陀の大切な気づきです。仏陀にとっての忘れることができない供養とは、純粋無垢な仏陀への真心そのものだったのかもしれません。真心からの純粋な行動がどのような結果になったにせよ、その現象の結果ではなく常にその真心の方であると、仏陀の供養を思い大切にして生きていきたいものです。

人にはそれぞれに因縁があり宿命があります。

そこには無数無限の不可思議なつながりがあり、人生はどのようになるのかは誰にもわかりません。だからこそ人としての道を自らの真理で習得し、その智慧によって生きていくしかありません。

仏陀の歩んだ足跡には、その生き方や生き様という智慧が詰まっています。子どもたちの純粋な真心や優しい気持ちを見守っていけるよう智慧や真理を学び続けていきたいとおもいます。

感情の源

人間はそれぞれに感情を持っています。感情とは物言わぬ言葉でもあり、感情が言いたいことが何かは感情に出ているものです。本当は何を言いたいのか、本当はどうしたいのかは感情が語るのです。

その中で特に「怒り」という感情があります。よく何かあると怒っている人がいますが、怒っているのはその怒っている感情を通して何を言いたいのかが分かります。

例えば、相手に「勝手なことをするな」と怒っている人は「自分を蔑ろにしないで」という本心を語っていますし、「なんで気をつかえないんだ」と怒っている人は、「自分を気遣って」と本心を語ります。もしくは黙って怒りのオーラだけ出している人もまた「自分をわかってほしい」と語っているのです。このように怒っていることの背景には常にその人の本心があり、それはあくまで本心から表出してきた一つの動作や言葉という反応であり、その反応に反射的に対応しているだけでそれで拗れたりトラブルに発展することがほとんどです。

人間はそれぞれに価値観が異なりますから、その人なりに自分の信じ込んでいる世界があります。それを誰かに無碍にされたり他人によって壊されることを避けているものです。怒りの感情はほとんどが、「自分を尊重してくれていない」とその人が感じるから出ているとも言えます。その自分を尊重してくれたかどうかは、自分の価値観(信じている世界)のことを認めてくれているか、自分の価値観を立ててくれているか、自分の価値観もわかってほしいということを求めているのです。

本来は成熟してくると、自分の信じている世界があるようにみんなそれぞれに信じている世界があると多様性を認められますが自分の信じている世界のみがすべてになってしまうと周りとの人間関係が築きにくくなります。もしもみんなそれぞれに自分の信じている世界のみがすべてだと思い込み、自分が正しいと自分の価値観だけの正当性を証明しようと躍起になれば人間関係がギスギスしてしまいます。

色々な価値観があり、それぞれの信じている世界が面白いと寛容な気持ちを持てるようになれば、それもいいね、これもいいね、それも一理ある、その発想はなかったと、認め合えるようになります。そうなれば人間関係も円滑になり、それぞれの持ち味を活かし合えるようになります。

感情の源になっているものが何かと思いやることでその人の価値観を知り、その価値観を尊重することでその人は自分の信じている世界を大切にされた、つまりは自分を大事にしてもらっているという自己肯定感を持つことができるように思います。

感情を押し殺したり、感情を武器のように振り回すのではなく、この感情の本心は何だろうとみんなで思いやる訓練をすることが内省の本質であり、社會をよりよくするためにその訓練を日ごろから実践してみんながお互いの絆を深めあい安心して仕合せに生きることを目指すのが一円対話です。

引き続き、自分たちの実践を通して本心に寄り添い本心を隠さずにオープンでいられるような多様な持ち味が活かせる世の中になるように精進していきたいと思います。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

道理

世の中には道理に精通している人という人物がいます。その道に通じている人は、道理に長けている人です。道理に長けている人にアドバイスをいただきながら歩むのは、一つの道しるべをいただくことでありその導きによって安心して道理を辿っていくことができます。

この道理というものは、物事の筋道のことでその筋道が違っていたら将来にその影響が大きく出てきます。そもそも道は続いており、自分の日々の小さな判断の連続が未来を創造しているとも言えます。

その日々の道筋を筋道に沿って歩んでいく人は、正道を歩んでいき自然の理に適った素直で正直な人生が拓けていきます。その逆に、道理を学ぼうとしなければいつも道理に反したことをして道に躓いてしまいます。

この道理は、誰しもが同じ道を通るのにその人がそれをどのように抜けてきたか、その人がどのように向き合ってきたかという姿勢を語ります。その姿勢を学ぶことこそが道理を知ることであり、自分の取り組む姿勢や歩む姿勢が歪んでないか、道理に反していないかを常に謙虚に反省しながら歩んでいくことで道を正しく歩んでいきます。

成功するか失敗するかという物差しではなく、自分は本当に道理に適って正しく歩んでいるか、自分の歩き方は周りを思いやりながら人類の仕合せになっているかと、自他一体に自他を仕合せにする自分であるかを確かめていくのです。

その生き方の道理に精通している人が、佛陀であり孔子であり老子でありとその道理を後に歩くものたちへと指針を与えてくださっているのです。

道理を歪めるものは一体何か、それは道理を知ろうとしないことです。

相手のアドバイスを聞くときに、自分の都合のよいところだけを聞いて自分勝手にやろうとするか。それともよくよく道理を学び直して、自分の何が歪んでいるか姿勢を正し、すぐに自分から歩き方を改善するか。

その日々の一歩一歩が10年たち、30年経ち、60年経ち、未来の自分を創り上げていきます。将来どのような自分でありたいか、未来にどのような自分を育てていくか、それは今の自分の道理を見つめてみるといいかもしれません。

そういう意味で、道理を見せてくださる恩師やメンター、そして先達者や歴史上の先祖は、偉大な先生です。そういう先生の声に耳を傾ける謙虚で素直な人は、道理に反することはありません。

私もいただいた道理をもっと多くの方々に譲り渡していけるように感謝のままで自分を使っていきたいと思います。

民話の智慧

むかしの民話の中には、私たちにご先祖様が大切にしてきた生き方を伝承するものがたくさんあります。その多くは、どのような選択をすることでどのようなことが発生するかという人の生き方を示してあるように思います。

私が特に覚えている民話の中で好きな話は「笠地蔵」です。あらすじを紹介すると、

『ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちのてぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。』(wikipediaより)

この民話に、私は幼心に正直者についてのお話で正直であることの尊さ、正直者は必ず将来にその徳が報われるということを教えてもらったような気がします。

現実にはお地蔵様が歩いて探しに来ることや、財宝を持ってくるなどありはしない出来事でそんなことをしても意味がないという人もあるかもしれません。しかし、人間には他のいのちを思いやる徳心は必ず備わっており、それが無機物か有機物か、生きているか死んでいるかの区別もなく、それをみて自分を映し共感する心があるように私は思うのです。

辛い思いをしているいのちを観れば、かわいそうと思う優しい心、助けたいと思う思いやりの心があります。孟子はそれを惻隠の情という言い方をしましたが、人間は誰しも自分を差し置いても誰かのためにと真心を盡したいという美徳があるように思うのです。

そうでなければ、赤ちゃんが生きていけるはずがなく、老齢になり生きていけるはずもなく、いついかなる時も誰かの優しさや思いやりに助けられて生きているのが人間の本質なのです。

その本質を引き出していく民話や、童話は、生き方やあり方、その道が示す徳の意味を語り掛け人間としての本来の在り方を忘れないようにと見守ってくださっているように思います。

現在は、あまりこのような民話が語られることが少なくなってきましたがむかしから語り継がれるものにはご先祖様の生きてきた智慧がたくさん詰まっています。その宝のような智慧を如何に伝承していくかは、今を生きる私たちの使命かもしれません。

引き続き子どもたちに譲り語り遺していきたい未来のために、実践を続けていきたいと思います。

心の持ち方を変える

以前、ある方から心の持ち方としてコップのお水のお話をお聴きしたことがあります。コップに水が半分入っているとして、ある人は「コップには半分しか水が残っていない」とし、ある人は「コップにはまだ半分も水が残っている」とし、またある人は「コップに水があるだけで有難い」という人がいるという話です。

これは物の観方のことで、見方を変えれば見え方が変わるだけではなく心の観え方が変わるということを示唆します。つまりは、心の持ち方次第で観えている世界が変わるということです。

これを社会学者であるP.Fドラッガー氏が語ると「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」というように「イノベーション」(意識の転換)ということになります。

そもそも立っている場所が変わらないのに、観ている世界が一瞬で変わる。意識の転換とも言いますが、これが価値観の変化であり、すべての在り方を変革させてしまうということです。

私の思う変化というものは、単に成長した先にあるというものではなくある時突然に意識が変わってしまうという具合にそれまでと物事の捉え方がまるで変わってしまうときに変化したというように定義しています。

人は観え方が変わらない限り、次第に窮屈になりマンネリ化し、狭く囲まれた常識や枠の中で閉じこもってしまいます。その枠を外すには、無理にその枠から出ようともがくよりも先ほどのコップのように物事の観方の方をさらりと変えていく柔軟性を持った方が変化がしやすいように思います。

楽観的で気楽な人は、それだけ物事の観方を転じやすく心の持ち方を変えるチカラが高い人のように思います。マジメにあまり無理をしてやっていてもより追い込まれてしまうだけで、そこから革新的な発想は生まれにくいものです。

そういう時は、先ほどのコップのようにないものを見るのではなくあるものを観ること、そして足るを知り感謝で生きていこうとすることで心の持ち方を変えていくことができるように思います。

どうにもならない現実(常識)を変えるのは、悲壮感ではなく前向きな楽観性です。まだあると、ある方を観ることができるのなら発想もアイデアも無限に湧いてきます。頭で考えすぎたり、恵まれすぎていたりすると、人は謙虚さを失いないものばかりを追い求めるようになるのかもしれません。失っているものばかりを見るのではなく残っているものを観る方が豊かだし、遺してくださったと感謝する方が仕合せです。

人間は時代がどんなに変わって環境が変化したとしても心の持ち方次第であり、どんな時もあるものを観て心で有難さを感じいただいているご縁に感謝しながら生きていくことで道が拓けていくように思います。

難しいことに挑戦していくからこそ人生は遣り甲斐も生き甲斐もあります。楽しく豊かに心の持ち方を転換しながら自助錬磨を味わいたいと思います。

本物の和

日本は明治維新後の高度経済成長の中で、古いものを捨てて新しいものばかりを追い求めてきました。外国から入ってくる新しい価値観や、文化を取り入れては古いものはダメだとさえ言い聞かされみんな新しいものに飛びついていきました。

それまで大切にしていた先祖代々の風習や地域のつながりなども捨てて若い人たちを中心に都会に出ては、過去の日本で行われていた地域地域の風土に合った生活習慣や文化なども否定していきました。今では後継者も育たず、立ち消えたところ、または風前の灯のところも増えています。

子孫や子どもたちのためを思えば、ひとつでも多く遺したいと思うのですが古いものはダメという価値観があるからかなかなか関心を持つ人が増えていかないように思います。

私は現在、古民家甦生や伝統文化の伝承など子どものために尽力していますが古くからある智慧や叡智を垣間見るとどれにも感動します。それは単に古いから感動するのではなく「本物」であるから感動するのです。

私は別に古いか新しいかという二元的な見方で物事を判断するのではなく、それが本物かどうか、そして本質かどうかを考えます。すると別に古くても新しくても本物でないものには感動しないだけで、本物はいつの時代もどんなに古くても新しいままの普遍の価値を持っているのです。

最近では、「和風」というように家も和風にします。実際に置いてある道具や家具、そして建材などを確認すると畳はイ草でもなく、障子も紙でもなく、土壁も土ではなく、柱も木ではないなどといったものが「和」に「風」がついて和風といわれ横行しています。しかもその和風に何の違和感もなく、これが日本の文化だと語られていたりします。本物と偽物の違いが分からなくなってきているから、新しいか古いかの価値観に人は縛られているのかもしれません。

古いか新しいかではなく、本物であるかという物差しを持てば、日本古来から様々な伝統文化や暮らしで用いられた智慧の凄さを再実感できるように私は思います。

子どもたちは自分たちの文化を知るのに、和風ではわかるはずないのです。

本物の和を遺し譲っていくことなしに、日本文化の甦生もあるはずはありません。引き続き子どもたちの仕事をするからこそ、偽物か本物かを見極める心と目を持ち、何百年先にも普遍的なものを遺し譲れるように妥協せずに社業を挑戦していきたいと思います。