身近な見直しと実践から

コミュニティを創造していくのに、譲り合い助け合いというのはとても大切なことである。循環というものは、そういう相手を思いやることではじめて次へと繫がりそれが活かされ戻ってくることができる。

今回、原発のことで周囲の人たちのことを思いやり行動したことで同じように信念を持っている人たちと繋がっていく。それは運動ではなく、自分が大変だということはきっと相手も大変なのではないかと思いやるところからはじまっている。

どんなに良いや悪い流れがあったにせよ、それをどのように自分を通過する際に本当に善いものへと転換するかというのは大切なことであると私は思う。

古語に、「禍転じて福となす」がある。

これこそ、もともと良くない出来事があったことを創意工夫で結局は善いことにしてしまうのが人間の持っている本当の力である。

つまりマイナスな観点を、発想を転換してプラスな観点にしていくこと。

そもそも禍福はぐるぐるとその人の視点で巡っているということを知り、どのようにそれを転じてバランスを取るのかというのが本来の私たちの暮らし方であるのだろうと私は思う。

様々な出来事は、その人のバランスを求めてくる。

次第に人間は安定して固まってくると、次第に時代や環境にあわないようにと追い込まれていく、その際にくるっと回転して今の時代や環境にあうようにと変化していくもの。

まるで砂時計の砂が落ちて、また逆さにして砂が落ち直すように行き来していきながらちょうど善いバランスでいようとするもの。

地震もうそうだし、台風もそう、すべての天変地異は偉大なる調和のなかで動いているのではないかといつも自分の心はそれを捉えている。

道としての生き方として、私たちは日々の出来事を少しでも善い方へと転じていこうとする実践こそが中庸であり、バランスの中にいることでもある。

仕事もそうだし、生活もそう、私たちは心を落ち着けるためにも身近なところから見直していこうとする実践が必要なのである。

何かの大きな出来事が起きる程に、私たちはそれに目を奪われてしまうもの。しかしそれを見ていて身近な実践を怠るのは結局は何も善くしていないのに匹敵するのである。

だからこそ、一時的に目を奪われようとも心は自らの信念や道一点を見つめその眼は禍福を一転させるところを捉えていることが大切なのであろうとも私は感じる。

色々な出来事がある中で、もっとも大切なのは自分の方から変えていくこと、自分の身近な実践から取り組んでいくことである。それが世界を易える原動力であり、それこそがバランスを皆で保つ在り方なのであると私は思う。

子どもたちのためにも、様々な身近なところを見直し、身近なところから実践を増やしていこうと思います。時は永遠、そして間は悠久、雄大な自然と溶け込みあいながら学びつつバランスをとっていこうと思います。