保身ではなく配慮

日々のビジネスや仕事を通して、道義に反するのではないかと思えるようなことも時にはある。しかしよくよくその根本を見つめてみると、それは単に全体への思いやりにかける何かがあったのではないかと真心で感じると道義や道理というのは自分都合は関係ない存在であることはよく分かる。

人は片方からの話しか聞かないと本当のことは分からない。なぜならその話の中に自分への保身がち入り混じっているからでもある。筋を通すや筋違いなどの大義も、それはあくまで自分の勘定を入れないときに使う言葉である。

相手や周囲や全体へのことを思いやるよりも先に、自分の身に危険が及ばないかや安全かどうか安心かどうかばかりを気にして優先し確保した後に相手のことや周囲の事としようとしてもそれは最初から自分を勘定に入れていることになる。

そしてそうやって自分のことをどうしても考えてしまうのを保身という。

保身というものは、常にどこかに自分の都合や自分勝手な解釈を入れてから判断しているということになる。そこには、どうしても自分側に都合が悪くならないようにと話をもっていこうとしたり自分の方が利点があるようにと引き寄せようと相手のことよりも大多数は自分を優先してしまうものなのである。

特にビジネスでもほとんどの解決は、人間同士の信頼関係の円滑さにあるものだけれどそれを失ってしまえば話はできはしないものであり、まずは心を相手に配り慮り、自分のことを勘定に入れずに相手のことを最大限心配して真心で接することで話ができるのである。

コンサルティング業では、これが本当の相手のためかどうかまで考え抜き相手のことを親身に一体感を持って接しているかどうかというのが重要になる。

そこに自分の保身があれば一体感になったとはいえはなしない、大切なことは相手の立場や相手のことを丸ごと心配して至誠を尽くすことなのであろうとも思う。

今の時代は何かに恐れ不安を持ち、失敗することを過度に怖がり自分の周りからの評価ばかりを気にする人たちが増えている。これも今の社会教育や環境によってであろうが自分の心をもっと大切にし他人を信じる実践を積んでいくことが見守る社会への構築へとつながっているのだと思う。

人の評価が気になるのは、評価ばかりで自分を見失っているからでもある。そしてそれを改善するには、もっと心を配慮したり相手のことを大切にする実践を習慣にし積み上げていくことである。

常に自分よりも相手、相手の人に全誠意を尽くすことに真剣になるのである。

簡単に言えばまず相手のことを何より慮り、相手のことを心配する、そういうところから真の余裕が生まれ、真の優しさが生まれ、その心を持ってはじめて他人を信頼し自他の存在を丸ごと信じることができるようになるのだと私は思う。

日々は、自己練磨の道場であるとともに社会貢献の道場である。

納得いくまで真摯に真心に取り組むことで少しでも皆様と社会のお役にたっていこうと思う。子どもたちにも、必ず相手を大切にすれば遣り抜けば相手から大切にされることを知ってほしい、まずは相手のために自分を尽くすことで一期一会の出会いを自らが楽しんでいこうと思います。