スローライフ

ゆっくり生きるということは大切なことでそれは日時や時間で決められた通りにあわせて決めるのではなくあるがままの流れにそって自然と同じように生活をしていくことをいう。

それは太陽が朝に昇り、夕方に沈みゆくなかで、涼しい時には涼しいなりに、暑いなりには暑いなりに、またある時は雨が降れば雨にあわせ、またある時は風が吹けば風にあわせるというあるがままに無理をしないで大自然を受け容れる生き方のことをスローライフというのだと思う。

つまりスローライフというのは、別にただゆっくりすればいいのではなく生き方としてそういう自然の流れをあるがままに受け容れ大いなる循環や悠久の時の流れにあるがままに溶け込み渾然一体となった営みのことであろうとも思う。

私が尊敬している立派な方も、自然を内包されたまるで人生の達人のように無為自然に生きている。

今を生きている自分がこれでいいのだと丸ごとあるがままに受け容れるとき、人は自分というものの人生そのものをスローライフというように味わい深く幸福に満ちながら歩みつづけることができるのだろうと思う。

今を生きるという風に無為自然に生きようとするのは、人間社会で迷い惑い緊張などで心が疲れた時には特に清涼感があり癒されるから不思議な感覚を覚えるものだ。

そしてこれはきっと自然から離れた私たちが帰りたいと思う根っこであるのかもしれないと私は思う。

私はこの根っこの存在こそがとても重要だと思え、風土や環境の中での営みに憧れるのはそこから離れて生きているからだとも思う。身近な存在、身近にあるものを大事に見つめれば身土不二や地産地消、土着民ではないけれど、その土地に生きる記憶が私たちの根を思い出させるものであろうとも思う。

今を生きることが、何より意味を生きることになる、そして今を大切にしていくことがその心身の根を大地へはっていくことになるのであろうと思う。

時代はグローバリゼーションという名のもとに様々な人々や様々なものが世界を行き来するようになっている。周辺のタンポポなどの野草や川や池の魚でさえ外来のもので埋め尽くされている。

そのうちに風土らしきものがなくなりどの風土でも同じようにしようとする力が働く中で手つかずに残っている自然もまだ多くあることに気づくことも増えてきた。

そこでは、消えない灯が燈り続けていて有難いことに今も変わらずスローライフを楽しむ様々な生命が存在しそこへ往けばいつも自分の根を思い出すことができる。

私には其処に故郷があり、あの手つかずの自然に悠久の流れやあるがままの声を聴くことができる。そこにいるだけで、無理をしていた分が癒され、また社会の流れの中でもスローに自分を持ち続けることができる。

そして都会で生きる選択をした私たちは、都会でも心は同じくスローライフを楽しむことができるもの。

それは人生の起こりうる出会いや出来事をあるがままに受け容れその人生の四季に溶け込み生きる事であろうとも思う。

今の自分の人生をどうゆったりと感じられるか、それは無理をしないで生きることに繋がっている。無理をしないとは、無為自然であること、考えず正しく流されるにはまだまだ心を素直にしていく実践が必要になる。

周囲の評価や偏見を恐れず、もっと自分らしくあるがままに生きることができればそれもスローライフであるのだ。

焦る事よりも、今のすべてを受け容れることで子どもたちにも根っこを思い出させることができるような気づきを与えていきたい。人間関係につかれる人が多い中で、皆が根っこを取り戻すことができるような保育環境を用意していきたい。