ゼロベース~本質主義~

前例主義という言葉があります。よく役所や行政で使われていますが、同義語には保守精神 ・ 形式主義 ・ マニュアル主義 ・ お役所仕事 ・  事なかれ主義などがあります。

あまり良い例では用いられず、形式だけを取り繕ったことをやるときに使われている言葉です。

そもそも前例主義とは何かと言えば、何のためにそれを行うのかという目的や動機を忘れ、今までの事例を探して難なく結果を出したいというときに発生するもののように思います。つまりは、前にやった人のやり方が正しい、自分はそれをやることが正しいというような理由で、元々の意味を自分自身で正対せずに単に取り組んでいるもののことを言います。

そもそもその仕事や、その行っている出来事は何かということを考えていたら多忙な世の中では仕事にならないという考え方があります。しかし本来は、その仕事は何かを考え抜いて本質的にしていかなければ本来の仕事にはならないというのが本質的な考え方であるのです。

もちろん脳が習慣化し、身体もそれを覚えて自動化していくのが人間ですがそれが何のために行うのかの方は実際はその都度初心に帰り、真摯に取り組まなければ本質から離れてしまいます。

特にルーティンの仕事や、繰り返し積み上げていくようなものは常に本質から考えて取り組むことをしなければ次第に前例を当てにして何となくやっているだけになり自分と向き合ってまで考えなくなっていくものです。

人は心にどれだけの信念を醸成するか、そして内省を怠らないでその意味を忘れないでいるのかはまるで魂の胆力のような根っこに強い吸着力が必要になります。その意味一つ一つをなぜそうなったのか、そして何が為り、何を創ろうとしているのかを常に思っていることがいるのです。

創業期のようにゼロからはじめているときは、前例などはなく常に初めてものだから動機や心が入りますが2期目、3期目など後から続いてきた人たちというのは前例や周りに合わせていこうとゼロからなることに意識を合わせにくいのかもしれません。働きにくいと思うのは、働くということが前例に囚われている証拠かもしれません。

自分を恒にゼロベースにしておくことは、自分が何のためにこれをやるのかという動機を常に忘れず取り組んでいくことだと思います。前例主義に陥らないように、常にゼロから考えるという実践をどれだけ積むかで余計な自分だけの価値基準や不安から無難を目標にするような意識を掻き消していくように思います。

本質的な人は常にゼロベースですから、毎回刷新し進化発展を已まないのです。常に日々はゼロベース、そして新しいことへの挑戦もゼロベースであると、本質主義で進めていこうと思います。