神話の生き方

神話を紐解いていく中で、私たちが如何なる民族であるのか、どの生き方を大切に今まで生き延びてきたのかを考え直すことができます。

世界では数々の神話が存在し、その民族の創始理念ともいうべく何を道にして歩んでいけば善いかを示しています。もともと文書ではなく口伝であったものが、失われないようにと文書化されて今に現存するのでしょうが本来はその民族の歴史そのものを神話といっても過言ではないのです。

その始まりがどこか、そして今にいたるまでの道筋のことを歴史と言い、今と歴史を見つめることがより善い未来への道筋を見出していくことになるのです。その時々の内省によって私たちは何を大切にしているのかの初心を思い出すとも言えます。

歴史の重要性は、ドイツの歴史学者ランケが「その民族を滅ぼすには、まずその歴史を抹殺し、次に別の歴史を作ってこれを信奉させることだ」というようにその民族としての自ずから湧き上がってくる生き方を別の生き方に刷り込み洗脳すれば本来がどうであったかを忘れ去られてしまうのです。

これはブログで書いた野菜の種の話と同じで、F1種や遺伝主組み換えなどをし、一番初めを操作して洗脳してしまえば後は何が元々の野菜か分からなくなるのと同じです。最初を書き換えられてしまえば、自分が何者であるのか、何をしてきたのか、何になるのかが分からなくなるのです。

この信奉させるということが、繰り返し塗り替えた歴史を教え込ませることでありそのように歴史は改ざんされて今まで来ているとも言えるのです。歴史学者が警鐘を鳴らすのはすべてに正しい歴史を継承していくことの重要性を説くのです。

またイギリスの歴史学者アーノルド・トインビーは、「12、13歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と言います。どの民族も祖父母から孫へと、父母から子へと自分たちがどういう民であったかと話をしてきたのが歴史であろうと思うのです。

その歴史の考え方を悪用するというのは本来の自然というものを操作しようとする試みでもあろうとも思います。

しかし私は楽観的で、F1種の時にも話を聴きましたが自然は治癒力がありどんなに操作して種を改造しても必ず元に戻ろうとする力があるといいます。何千の種の中からもとに戻ろうとする少数の種が生まれそれが淘汰された種から生き残るというものです。

自然は私たちが生まれるずっと前から私たちを生かしてきたものです。その存在は、私たちがいくら操作しようがそれは目先を操作したのみで必ず中心は別のところになっているのだから原点回帰されていくのです。

だからといって生き方の継承こそが歴史なのだから、自分たちが真の生き方を示していこうと志していくことが大切なことのように思うのです。生き方と働き方の一致とは、日本人としてどう生きるかに必ずつながっています。

神話から沢山のインスピレーションをいただき、学び直した実践を積んでいこうと思います。