元通り

自分の考えを人に伝えるには、常に自分との対話が必要になります。本来、意思疎通するというのは互いの目的に対して自分がどうしたいのかと常にそれぞれが向き合っているから話が通るのです。

そしてそれを誰かに伝えるには、自分の思いが何かを知っていないとできません。そして自分の思いと相手の思いを合わせていくことが必要です。

そういう思いを合わせていくことで伝え達していくというのが対話の本質です。

例えば、自分の感情がどのような気持ちであるのか、感情と向き合いそういう自分を知り、それをいつも周囲に伝えているということも大切なことです。人は確かな意思を持って生きていますから、その意思を確認し合ってお互いの距離感を保っているとも言えるからです。

この意思という字は辞書でひくと「何かをしようとするときの元となる心持ち」とあります。この「意」というのは感情のことを指し、「思」というのは心のことを指します。そして元とはなんでしょうか?

この「元」を知るには向き合うことが必要です。元とは、根のこと、源のことで自分がなぜそうしたいのかということを自覚しているということです。

例えば、温泉に入りたいと思ったとします。それは元はどこにつながっているのか、ひょっとしたら水の温もりを地球の体温を感じたいのかもしれません。安心したいのかもしれません、それを自然に伝えることで周りもその人のことを理解していきます。

人は元になるところに辿りつくために、言葉を使って会話をしているとも言います。その人の元になる部分が分かることで人は安心してお互いの意思を疎通していくことができるのです。

しかしこれはなかなかできないものです。元に辿り着く前がみんな違うからこそ、違っている存在を認めようとすること、感じたものや考えが違ってもそういう人なんだと分かりあっていこうとすること、そういう中に意思疎通もまたあるからです。

本来は元々、一つの存在ですが分化したものを理解しようとするのでは大変なのです。根までいくことや元へいくことが互いを深く理解し合うことのように思います。

仕事をしていて気づくのですが、大切なことは人の話を聴くことです。人に聴く姿勢が、自分の心に聴く姿勢と等しくなっています。素直に人の話を聴いて正直に取り組んでいけば、次第に素直に自分の意思を聴いて正直になっていくからです。

聴かないというのは、先に頭で考えてしまって行動しようとしないからです。まずはやってみて、その後、その深さや意味を味わい感じたものを素直に転じて悟り、継続して正直に努力していくことで意思は次第に澄んで自然体に近づいていくように思います。

この世は思い通りにならないからこそそこに面白さもまたあるのです。自分の方を変えていくこともまた意思との調和次第です。実体験の尊さもまた意思との向き合いにあるように思います。

論語に「先ず行う、其の言は然る後に之に従う」があります。これもまた素直な実体験を優先せよとの君子の教えです。

人間はいのちなのだから何よりも素直でいることが一番ですし正直でいることがもっとも個性が光ります。それはとても調和のとれた思いやり優しく、元気で楽しい豊かな存在ということです。赤ちゃんから学び直せるように、人がオープンであること、あるがままでいること、元通りであることを大切に味わいたいと思います。