対処療法の果て

医療でも教育でも福祉でも、現代は様々なことが事業によって行われています。

古来はそういうものには特に分かれず、それぞれの役割をそれぞれで果たすことを中心に分化していたようです。様々な問題が発生していけば、新たに新設して対処するという対処療法が優先されていますがそれではその場は凌げても長い目でみて解決したことにはなりません。

例えば、戦争などもそうですが武器を禁止するとかしないとか色々と国際社会の中で強大国が弱小国に対していくら圧力をかけたにせよ、その根源の問題を解決していないのだからそのうちまた同じことを繰り返してしまうのです。

核実験の件も、化学兵器の件も、なぜそのようなことを起こすのか、その根源的な問題について話し合いをしていこうとしなければいつまでもまた似たようなことは続くのです。

根源的な問題とは、最初に必ず動機がありその動機が何であったかを問うことに似ています。動機を問えば、その問題が何によって起こされているかも知ることができるからです。

例えば医療でいえば、強烈な副作用のある薬を投与してもOKになっているのは対処療法としてはそこだけを攻撃できるのですが根源的に全体に与える影響はかなり大きいものでも使えることになっています。

食品でも、腐敗しないためにと防腐剤などの添加物を入れますが対処療法としてはそれでもいいのでしょうが長い目でみて根源的なものを考えてみると決して安易なことにはなりません。

ゴミの問題も、環境の問題も、対処療法ばかりをしていてその場だけよくしていることをさも素晴らしいことをしたと報道したり評価するのでは誰も根源的なことを解決しようとは思わなくなっていくのです。

結局は、環境問題とか健康問題とか、福祉問題とかいうよりもそれは対処療法なのか、根源療法なのかを見定めてどうあるべきかを問い直すことの方が重要であろうと思います。こんなにわけのわからない程に複雑になったのは対処療法ばかりを増やしているからです。

対処療法はやればやるほどにやることばかりが増えていくものです。根源療法をやれば次第にシンプルに合理的に融合的に減っていくものです。

本来の生活スタイルを維持することや、本来の仕事の本質に立ち返ろうとすることは物事を正しく循環する方へ根源的な方へと転じていくことの似ているのです。

そう考えれば日々は常に本質と向き合っている個々の正対により社会もまた改善していくことができるように思います。自分が余計なことをしなくてもいいように、常に根源を見つめて実践していきいたいと思います。