土をつくる

昨日、自然農の畑に春野菜の種を蒔きました。畑も人が手入れをすることで畑らしくなります。畑に人がいかなくなればあっという間に雑木林のように野生に帰ります。作物を作り続けることで、そこに畑ができるのはそこには「場」ができるからです。

実際に畑をつくるというのは、土をつくるということです。これは別に野菜をつくることが目的ではなく、私たちの方が土に親しみ関係を結んでいくということです。土がよくなってくればくるほどに、そこの居心地がよくなってきます。居心地がよくなるというのはよく目が行き届いているということであり、小まめに草を取り払い土の状態を見守っているということです。野菜を育てることばかりを考えては土を育てないでいては、収穫はするけれど一向に土を耕さないことと同じです。これは仕事も同じく、お客様の環境を耕したり草取りをしたりせずに数字や収穫だけをやっていたらダメになるのと同じです。環境の中に生き方は顕れてきますから、自分の働きは環境に浸透していくことで土は醸成されます。

農の諺にも「精農は土をつくる、駄農は野菜をつくる」というのがあります。野菜ばかりをつくっているうちに最後は草も生えなくなるぞという意味です。

如何に土づくりが大事かということを、かつての農家は教訓にしています。

他にも似たものに「作を肥やさず土を肥やせ」や「作人上田」というものもあります。この作人上田というのは、農民を上農・中農・下農を三つに分けた古い農書の中の言葉で下農は雑草を、中農はイネを、「上農は土をつくる」と書かれています。そして上農になるには、まず人間を創る必要を説きます。そして上農になるためにも、まずは土からはじめなければなりません。

土というのは直接収穫とは関係がないようにも思われますし、土を耕し手入れをすることは根気もエネルギーも多大に消費します。目先のことを考えずに長い目で土を育てていくということは、そのために日ごろから草を敷き、土を触り、土を寝かし、一年の巡りを見据えて土に寄り添い生きていきます。

どちらにしても先祖たちがいうように、目に見えるところにばかりを気にして土を疎かにするというのは農では本末転倒であるということです。

他にも諺で農の実践で優れた人物を比喩し、「精農は草を見ずして草を取り、中農は草を見てから草を取り、惰農は草を見て草を取らず。」とあります。これだけ土と一体になっていれば自ずから経営は成り立っていくということでしょう。

これは畑だけに限らず、会社でも事業でも組織でも同質のことです。

最後に農に携わる人間として訓戒というものがあるように思います。人間として何を守っていけばいいか、人間として何を大切にしていかなければならないか、古来より語り継がれた農家の心構え「三粒の大豆」を紹介します。

「一粒は空を飛ぶ鳥のために 一粒は地の虫の中のために 残りの一粒は人間のために」

これは大豆を畑に播くとき、一つの穴に同時に三粒の豆を入れなさい。一粒は空を飛ぶ鳥のために、一粒は地の中の虫のために。そして残りの一粒は人のために播きなさいということです。

土をつくることの本質が示されています。

私は子どもの仕事は土をつくることだと思っています。そういう意味では、自然農も古民家再生も見守る保育を弘めることも何も変わりません。引き続き、自分のやっていることが何か、人生を通して土に寄り添い土から学び直したいと思います。