間と点の中~懐かしい未来~

先日、高円寺の古着を見に行く機会がありました。数十店舗の世界各地から収集された古着が所せましと並んでいて、そのどれもが時間の経過があったものばかりでした。この古着の古いには色々な言い方があります、例えばレトロ・アンティーク・ヴィンテージ・クラシックなど様々なジャンルを分けて古さと使い分けています。

レトロは懐古主義、アンティークは100年以上のもの、ヴィンテージは20年~30年以上100年未満、クラシックは中世近世ヨーロッパの伝統形式などとよく定義されています。

実際には古いという一言で括れないのが古いというものであり、同様に新しいという一言で括れないのも新しいということです。温故知新などの古いと新しいの意味は、単に時間の経過だけをいうものではないことはすぐにわかります。それを少し深めてみようと思います。

古さというものは、先ほど書いた時間的な経過というものがあります。例え一度も箱から開けたことのないものであっても、100年も200年以上の前のものは古いと呼びます。それは時間的な経過があるからです。もう一つの古さは、その時代の価値というものがあります。それは時間的なものではなく、その時代時代の価値基準やその時点での思想、また芸術や生き方のようなものがあります。それに太古の昔と言えば、一つは時間の経過、もう一つははじまりの頃、今の私たちのルーツのことを指します。

つまりは、古いといっても時の「間と点」というものがあるということです。

私たちはこの間と点をつなぐことで歴史を認識します。実際には、止まることがない時間の経過の中で私たちはある時点にあった出来事を取り出して認識します。しかし繋がっている今の中では、言葉で切り分けてみても実際は已むことがありませんから私たちはこの「間と点」の中を感じて古さや新しさを感じ取るのです。

そして古いものには「懐かしい」というものがあります。これは原点のことで、心がその原点に惹かれるということです。人が懐かしいというとき、かつての大切にしてきた何かに心が惹かれます。それは単に古いから懐かしいではなく、自分たちが何を大切にしてきたかという意味での懐かしさに心が揺さぶられているのです。

そして未来というのは、その懐かしいままに今を生きることでいつまでも大切なことを忘れないで仕合せに生きていきたいという願いです。温故知新というものは、そういうことを時代時代の人々がつなぎ続けていくことを言います。

古いというものにある間と点の中には根元から結ばれる原風景が息づいています。そういうものを感じられる人物こそが、先祖代々から脈々と結ばれてきたつながりを持つ人物であり、そういう人物の生きざまには懐かしい未来がいつも存在します。

古さの中にある新しさとは、太古から流れてきた原点を忘れず今の時代にどのように暮らしていくかということです。私の言葉にするのなら、理念の実践と日々の改善、創意工夫です。

引き続き、古さから学び直し、色々な今を新しくしていきたいと思います。