魂を優先

この世には、身体は死んでも魂が残っている人が存在します。多くの人たちの生き方を学び、志を立ててその生を全うし、後世に語り継がれるような人生を遂げた人たちのことです。

私は高校生の時に、吉田松陰に憧れその遺した書物や言葉を読み漁りました。それから30年以上経って遺した言葉に触れると元氣が湧いてきます。毎年、松陰神社にいき志を確かめ今の自分がどうであるのかを反省をします。もう亡くなっておられるのに、そこにいくと魂が触れて元氣になります。不思議なことですが、生き方として純粋に生き切られた方の遺した場にはいつまでも魂が遺っているように感じます。私たちはいろいろな人に触れることで生き方を磨きますが、人生の中で一つの指針になるような生き方があることは後世の道しるべになるものです。その吉田松陰はこういいます。

「奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである。」

「世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。」

魂というものは、普遍的に働きます。身体があるないにかかわらず、そのハタラキは永遠であるといいます。何を目指したか、どう生き方はこの魂に由るものです。そして今を生きる人たちにこうもいいます。

「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から、極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し、濁った世に迎合したものにすぎない。」

「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。私心がまだ除き去られないと、その進退出処みな私心に拘われて、道に反することとなる。」

「道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。」

今、やらなければらないことを先延ばしにしない。いくら変人や狂人といわれても、本当にやるべきことはやり切るという覚悟。まさに志士の生き方を示します。そしてこういいます。

「自分は志を持つ。志士の尊ぶところは何であろう。心を高く清らかにそびえさせて、自ら成すことではないか。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。」

自ら決めた生き方を自らがやり遂げること、その純粋な生き方に学び人は志とは何かということを学んだのでしょう。時代が変わっても、自分を生き切る人の生き様は魂が揺さぶられます。

一度しかない人生、後悔のないように魂を優先して歩んでいきたいと思います。