福堂の場

吉田松陰は、松下村塾で有名ですがその発端は野山獄中での孟子の講義によるものです。普通の人は、牢屋にいれられたら悲嘆にくれて自暴自棄になる人もいますが松陰はこういう時だからこそ学問が磨かれると学びをさらに一歩進めていきました。

その遺した言葉の一つにも「牢獄で死ねば禍いのようだが、この場所で学問をし、己のため、他人の為に後世に伝えることを残し、身は失っても死にはしない人たちの仲間入りすることができるならば、この上もない福というもの。」というものがあります。

今居る場所で学問をすること、そして死んでも魂は受け継がれていく同志の仲間入りできるのならばこれは最上の福ではないかというのです。目指しているものや、その志がすでに透徹されており曇りがない純粋な浩然の気を感じます。

この牢獄をどのように福堂にしたのか、その発端の文章から少し深めてみます。松陰はこういいます。

「元魏の孝文、罪人を久しく獄に繋ぎ、その困苦に因りて善思を生ぜ染む。」因って云はく、「智者は囹圄を以て福堂とす」と。此の説遽かに聞けば理あるが如し。」諸生紙上の論、多く左袒する所なり余獄に在ること久し。親しく囚徒の情態を観察するに、久しく獄に在りて惡述を工む者ありて善思を生ずる者を見ず。然らば滞囚は決して善治に非ず。故に曰く、「小人閑居して不善を為す」と、誠なるかな。

これは意訳ですが、獄中で罪人をつなげばその困苦によって善思が産まれるという。なので知恵者は牢獄を福堂にするという。これは理があるようにみえる。しかしよく観察すると長く獄にいるとそうではないものが多くなる。それではかえって善治にならない。子思がつまらない人間が暇でいると、ろくなことをしないというのはその通りである。

「但し是れは獄中教へなき者を以て云ふのみ。若し教へある時は何ぞ其れ善思を生ぜざるを憂へんや。曾て米利幹の獄制を見るに、往昔は一たび獄に入れば、多くはその悪益々甚だしかりしが、近時は善書ありて教導する故に、獄に入る時は更に転じて善人になると云ふ。是くの如くにして始めて福堂と謂ふべし。余是に於て一策を画す。世道に志ある者、幸に熟思せよ」

しかしこれは牢獄において教えというものがなかった場合のみではないか。もしも教えがあのなら善思にならないことは憂う必要はない。アメリカの牢獄は牢に入ったときはよくなくても、善書を置き教えを導くことで善人になっている人が多いという。このようにしてはじめて福堂になるのではないか。ここから私は福堂策というものを提案する。同志たちよ、熟思してほしい。

そこから牢獄を福堂にするための方法や自分の取り組み、そして将来の展望などを書き連ねていきます。牢獄においても、いただいた御恩に報いようと学問を励み少しでも世の中に貢献しようと精進しておられます。

どんな境遇でどのような場所にいても、志が立っているからこそ学問が磨かれたのでしょう。志を立てるのは、自らが立てるものです。その純粋無垢な恩返しへの徳、そして何のために生きるのかを魂のままに実践して生き切る姿勢。身は滅んでも、魂として永遠を生きようとした生き様を感じます。

そういう生き様に感化された人が今も後を絶ちません。こういう人がいたということが後世の人たちの教導にもなっています。子どもたちにも、あらゆる生き方があることを伝道し今いるところをさらに彫り刻んでいきたいと思います。