自分に優しく

私はどちらかというとよく心配したり祈ったりする方で家族や親しい人、社員や子どもたちが病気になるとずっと気持ちが離れずに恢復にむけて何かできないかと動いてしまうほうです。ある意味ではお節介なタイプかもしれません。しかし何かできないかと一生懸命にすぐになってしまいます。しかも人を選ばずに通りすがりの人でもお節介な親切をしようとします。

これは血なのか、祖父母がそうだったのか、他人事にできずにすぐに自分事になってしまうタイプです。しかし、ちょっと度が過ぎているなと感じるときは自分のことは放っているときです。自分の具合がよくないのに、自分が大変で余裕がない状態であるのにそれでも他人に優しくしようとします。結局、無理がたたりそのことによって苦しみや傷ついたりすることもあるからです。

人間というものは、基本的には自己という存在で形成されています。私の言い方では、一人ではなく二人が一つになっている存在ということです。これは別に二重人格という意味ではなく、静と動の自分があるということです。現在、水も二つの性質が一つになっているということもわかってきています。同時に火も二つが一つです。水でいえば、絶対零度で凍る水と凍らない水というものがあります。火も燃焼するものと遠赤外線というものがあります。これも静と動のいのちであり、この二つが一つになって私たちは体を成すのです。

例えば、自分というものはいつも自分を助けてくれています。私がこれをやりたいと動けば、その意思にしたがい身体は動いてくれます。さらにもっとこうしたいと意思を強く持てばそれに応じます。しかし同時に身体はいつも応えてばかりだと疲れが出てきます。それが蓄積しているのに放っておくと体が先に崩れます。そうなると意思がいくらあっても体が応えることができません。その時、意思は体を労うのか、それとももっと動けと怒るのか、そこに自分というものの付き合い方がでてくるものです。

これは自分という付き合いの話ですが、それが他人との付き合い方にも出てくるのです。自分に優しい人は、他人にも優しくなるものです。先ほどの身体であれば、よく応えてくれたと深く体に感謝している人は体を労わりながらやるので疲れもあまり蓄積しません。むしろ体の方の状態をみて無理のないところで一緒に取り組んでいくものです。そうすると自分に優しくなっていますから心は穏やかで仕合せです。

素直であるというのは、自分をよく知るところからはじまっているように思います。自分のことを自覚するということは、もっとも身近で自分を支えてくださっている存在を大切にするということです。自分も他人も大切にできる人というのは、その存在だけで周囲に安らぎを与えるものです。

管理され、比較競争させられているような社会ではなかなか難しいことかもしれませんが子どもたちも無理をさせて傷をつけ合うような世の中にはしたくないものです。傷は癒すのにもたくさんの時間が必要です。みんなで自分に優しくし合うことで、世の中は平和になっていきます。

今年はいろいろな自分との付き合い方を観なおす一年にしていきたいと思います。