日和見実践

体調を崩すと自分の身体の免疫の御蔭で健康でいられることに気づきます。もともと健康が当たり前と思っていると、健康のことなどを気にしません。空気があること太陽、水があることのように当たり前になるとそれがなくなれば死んでしまうように本来はこの身体が健康であるから私たちは生きていられます。

その健康は病気になって気づけますから、人間というものは両極端、陰陽があってはじめて様々なことに気づく力を持っているともいえます。

人間の大腸にも、善玉菌と悪玉菌、そして日和見菌というものがあります。この菌たちの絶妙なバランスで免疫を保っているともいえます。この善悪も善し悪しだけではなく、悪も必要で病気と同じように免疫を助けてくれています。その際、日和見菌というのはどちらでもなくその時々の状況で善玉菌になったり、悪玉菌になったりします。腸の中の善玉菌と悪玉菌の割合は、2:1だといいます。善玉菌は全体の20%で、悪玉菌は10%、日和見菌は全体の70%という構成です。

この日和見とは、江戸時代頃の日本の天気観察から来ている言葉です。事の成り行きや様子を伺いながら、形勢を見て有利な側方に追従するというような意味です。そう考えてみると、中庸的な存在が日和見菌でありバランスを保っているという見方もあります。善玉菌が常に優勢の方が健康とありますが、全部が善玉菌になることはないというのはそこに意味があるように思うのです。そして全部が悪玉菌ということもない。しかし、見方によっては全部が日和見菌であるという見方もできるように思います。

現在分かっていることに腸は第二の脳と呼ばれています。脳も本来は心身を守るために、調和を保つための機能を持ちます。同時に腸もまた心身の様子をみて腸内でバランスを調えようとする。これは脳も腸も自然の天候と同じように、常に日和見であるということです。

人間はもともと自然と共生しているときこそ日和見を重視していました。船を出港するのも、山に入るのも天気や雲、気候をよく観察して判断をしていました。それだけ自然の調和に近づき、その調和に逆らわないという生き方をしてきました。よく天候が荒れたり気圧が変わると頭痛や体調が悪いこともありますがその当時の暮らしの身体の名残かもしれません。

この身体はいわば自然の一部ですから、腸がどのような状態か、そして脳がどのような状態か、そういうものをよく日和見することで自分の状態をよく観察することは大切なことだと思います。

自分を知るということは、簡単ではありませんが日々によく日和見実践をして暮らしを調えていきたいと思います。