種を守る

現在、私は故郷で在来種の高菜の種を山間の特別な畑で守っています。まもなく収穫時期ですが、有難いことに最近この高菜の種がほしいという志のある方が増えています。少しずつですが種を分けて、もう一度この地域に伝統の在来種の高菜畑が広がっていくことを夢見ています。

想えば、はじまりは亡くなったお義母さんが病気が平癒後に一緒に高菜を育てようと元氣づけることからはじまりました。それが供養として続けようとなり、家族が育つための畑になり私の心を癒し、そして今では初心を忘れないための大切なパートナーになっています。食べれば元氣が湧き、漬物にして保存すれば菌たちも参加してみんなのいのちを守ります。

そもそもこの種は誰のものでもありません。連綿と1200年以上、この地で根付いてきた歴史そのものであり今でも一緒にいのちを分け合う大切な仲間です。そもそもですが、山は誰のものか、海は誰のものか、種は誰のものか、これはすぐに考えればわかりますが誰のものでもありません。これは徳そのものであり、その徳をいただき私たちは生かされている存在です。

だからこそ、種というものも大切に先人たちが守ってきたように今の私たちも守っていくのは本来当たり前のことです。お金にならないからやらない、暇がないからしない、メリットがないからやらないではありません。本来、感謝しているから当たり前にそれをやるのです。

今の時代は何をするのにも自分や私、誰かという人間の都合ばかりで物事を判断されていきます。しかし、むかしはそんなことよりも大切ないただいている存在に何か恩返しをしたい、言い換えれば徳に報いたいという気持ちがあったように思うのです。

二宮尊徳も同じように、種を守り、田畑を守り、先人の心を守りました。今の時代、何が一番恐ろしいことか、それは種を守らないように自然を守らず、自分たちにいただいてきた先人の心も守りません。

環境破壊の本質は、心の荒廃です。心を如何にととのえていくか、そこには暮らしの甦生が必要だと私は感じています。

これからどうやってこの在来種を守るのか、そのためにも私は徳積み循環経済をまわす仕組みが欠かせないと感じています。私のやり方で私ができることで、種を守り続けていきたいと思います。