真の合理

本来、自然に則った法則のようなもの、これを道理ともいいます。この道理とは、正しい道筋や理念のことをいいます。しかし最近は、合理性を追求され道理が失われているともいえます。物事の本質よりも人間のその時々の理屈での便利さや都合が優先されていくというのです。

本来、合理というのは物事の理屈にあっていくことをいいます。これは理を曲げるというよりは、中庸であること、正反が合わさって福になっていくように本当の合理とは最善の状態になったということです。

この最善であるというのは、今が最も相応しいと思う心に似ています。今が最善ということの連続を歩んでいる人は、今はこうする、今はこうあるというように、その時々の今に生き切ることができます。

本来はそれが合理性であり、その時々の勝手な都合ではなく理念や初心、そして道理に照らして今はこれが最善であるという決断と行動をし続けるということです。

現代はどうなっているかというと、それまでにつながってきた日本の風土の道理などは度外視して西洋から流入してきた道理を優先しています。そのうえで合理性を追求するから今がおかしなことになりつづけます。本来の今というのは、古来から連続した今のことです。つまりは、私たちの真の伝承文化に照らして今はどうあるべきかを連続して行動していくなかに中庸があり合理があります。

私が、暮らしフルネスで伝承文化に取り組むのもまたこの日本の風土、そして過去から今につながるところに真の合理を実感しているからです。

理を合わせるというのは、自然の道理と伝承の道理、あるいはいのちの道理や宇宙の道理、さらにはつながりの道理や天地の道理などあらゆるものを合わせていくことをいいます。

子どもたちにも過去から今に続いてきた合理を伝承し続けられるように私自身がその生き方を磨き今を高めていきたいと思います。