人間というものは手段と目的がすぐに入れ替わる生き物です。それは生き方がそれだけ影響を与えるということでもあります。どのような生き方をするかというのは、言い換えれば何を根源として理解し何を本質として生きるのか。つまりは何のために産まれ、どう生きるのかという目的を忘れないで日々を生きるということです。
例えば、現代文明を観察すると生きるための手段として経済効率があります。便利さを追求し、消費することで国家を繁栄させていきました。それは多国間の競争に勝つための手段として採用され、日本でも明治以降に数々の経済政策が実行されてきました。
しかしそれはあくまで現代の競争社会の中でどう生きるかの手段の一つであり、本来の何のために生きるかという目的は後回しにされていきます。そのうち目的を思い出す人もほとんどいなくなり、みんなが手段の奴隷のように働き始めます。
人間はよくもわるくも習慣の生き物であり、脳が全自動で処理をして同じことを繰り返すことができます。その時、人は心を忘れ手段に没頭していきます。この状態のことを「忙しい」と言います。
この忙しいの本質は、極端に聞こえるかもしれませんが真奥には目的を忘れて生きているということに他なりません。
初心を忘れないというのは、別の言い方では目的を忘れずにいるということです。
目的を忘れないでいるには、手段に呑み込まれないための仕組みが必要です。例えば、何のために生きるのかということを忘れないというのは、何のために生きるのかという答えを歩む暮らしをしていることが重要です。
それは心が初心を忘れない生活のことです。心は自然の一部としていのちの循環と共に歩みます。これは人類に限らず、すべての微生物から植物、動物まで同じです。自然の循環の中で徳が巡るようにいのちを歩みます。
その状態を保持しているのなら、その人は初心を忘れません。なぜなら感覚や感性、また全体のいのちの一部として生きる目的、役割、存在を感じながらいるからです。その人は忙しくなりません、さらに言えば、時間的な忙しさはあっても、心は亡くしていない状態であるからです。
人類は初心を忘れる時、人ではなくなります。
人間とは関係性の中で存在するいのちの一つですが、それは徳の循環する中にいるときに味わい感じられるものです。
本来の人類の文化や文明が損傷して忘れさられていくのは、目的を忘れ手段をおいかける存在になっている時です。
人間性の回復をすることが、文化の甦生の本質です。
今週は文化についてご縁がありますが、粛々と脚下の実践を通して子どもたちの未来のためにただただ現実を変えていきたいと思います。
