尊重し合う社会

ゆるされない我儘というものがあります。これは相手のことを配慮せず、自分の好き勝手にやりたいために周囲に多大な迷惑をかけることです。人は一人で生きていませんから何をするのにも、誰かのお手伝いが必要です。特に親しい人には余計にお手伝いを必要とします。お互いに親しき中にも礼儀ありで、その人を大切にしていくことで自分が配慮する気持ちが欠けていないかと、自分に気づくためにも必要なことです。

甘えもゆるされない甘えというものがあり、他人への配慮がない、相手の気持ちを慮ることもなく自分勝手だと多大な迷惑をかけてしまいます。毎回、相手を慮らず自分の都合を優先すればするほどに周囲は嫌な思いをします。そしてその人の大切なお時間やお金、その人のもつ人間関係、大事にしているものまで蹂躙し搾取していくのですからとても傷つくものです。

しかし我儘と甘えがある自分勝手な人は自分のことばかりに意識があるため、そうしていても相手の気持ちが理解できません。自分ばかりの感情を優先し、同様に傷ついている状況が相手にも起こっているということがわからないのです。人間はお互いを尊重していなければお互いに酷い扱いを受けたと感じるものです。

人はそれぞれにその人なりの価値観があり、世界観もあります。そしてお互いに色々なものをシェアして助け合って人生を謳歌しているものです。お互いを思いやることは、同じ場所、同じ時代に生きるものとして大切にしたいところです。

世界では戦争が起きます。その戦争もはじまりはどこかといえば、誰かが我儘をいい、そして配慮のない行動から発生します。どこかの国の思い通りにならないなら戦争をする、あるいはコントロールしてできないなら破壊するということではあまりにも虚しいものです。それで周囲は多大な迷惑をこうむります。いつもはじまりは一人の我儘から、そして配慮のない甘えから発生してくるように思うのです。

子どもたちも、幼少期より集団や社会のなかでその大切さを学びます、そして大人になっても学び続けます。みんなが喜び合う楽園、仕合せを循環するように協力し合い、助け合い、学び合うのです。

保育の志事に取り組んできましたが、まだまだ保育の奥深さを学び直しています。子どものモデルになれるよう、生き方を見つめていきたいと思います。