桜の生き方

この季節は桜の花が満開で、毎日飽きるほど桜を楽しんでいますが飽きることがなくその可憐な美しさに見とれてしまします。薄紅色や純白の花びらがひらひらと舞い、おっしてゆらゆらと揺れる花弁、ミツバチでなくても引き寄せられてしまいます。

おかしな話ですが、むかし家に猫がいて本当は嫌いだったのですが猫のちょっとした仕草に母性のようなもの、あるいは好奇心が揺さぶられて感情が波打つような気持ちになったことがありましが桜にも似たような感覚を覚えるときがあります。

この幻想的で魅力的なこの花はなぜ日本人に特に愛されるのか、そこには魂に問いかけてくるような純粋な徳が宿っているからかもしれません。

私は梅の花の方に深い懐かしさがあり、待ちわびた花という感じは梅の方に感じますが桜もまた周囲の陽気が満ちているときに咲きますからこの方が春をイメージできます。

もともと、さくらの名前は「サ」は田んぼの神様のこといい、そこに鎮座する「クラ」が合わさり「田んぼの神が宿る木」という由来から来ています。今回、高菜の収穫をしましたがそれも桜が咲くころというのがむかしから言い伝えです。他にも、稲の種まきなどもこの季節、それくらい農家は、この桜が咲くころを目安に農業をしてきました。桜の木々に、秋の豊作を祈願したように思います。

桜の花の時機はとても短いものです。しかしその儚さゆえに私たちはこの時間を大切にしたいと思います。まさに人生もまた同じく、儚いものです。儚いからこそ、夢のようなこの時間をどれだけ味わうか、そして美しい花を咲かせようかと願い祈るのです。

昨年から守静坊の枝垂れ桜を守らせていただくご縁をいただきましたが、関わってくださった方々をはじめ多くの子どもたちが安心して平和に過ごせ、みんなが豊かになっていくことを祈る気持ちが増しています。

桜からその生き方を学び、子孫へと繋いでいきたいと思います。