手段と目的~初心の大切さ~

人間は油断をすると手段と目的が入れ替わっていくものです。習慣の動物でもあり、人間の脳はすぐに自動化を進めます。そのうち、何のためやっているのかという目的を忘れることができるようになります。すると、目的がなくても自動で行動できるようになります。そのうち目的を忘れてしまい手段が目的のように変わるのです。

よく初心忘れるべからずという言葉もありますが、はじめの目的を忘れるなという意味です。

これは暮らしでも同じことが言えるものです。

本来、人類は自然循環の中で行われる全体最適の生産と同じ場所で暮らしていました。それが自然から離れ、自然を征服して、自然を消費するような場所で働くことになりました。

現代は、暮らしの中に働くがあるのではなく、働く中に少しだけ暮らしを取り入れようとする始末です。これも目的と手段が入れ替わった事例です。

また学校制度なども同様です。最初の目的が忘れ去られ、手段としての制度に依存するようになりました。本来の暮らしの中の家庭教育や地域共同体の中で見守られ育つという仕組みが消え、制度依存をしては学校でやれる限界を露呈しています。誰もが余裕や余白を忘れては、ひたすら働くための人間を育成するような場所に換わっていきました。

そもそも何のために人は学ぶのか、何のために生きるのか、何のためにという目的を話し合うことはほとんどなく、どうやるか、何をすればいいか、どこに入るかなど手段ばかりを求められていけばそのうち人間は手段だけをする生き物になっていくでしょう。

今では何のためにという目的を優先し、初心を忘れない人を変人や奇人と呼んだりもします。すべての行為行動には意味があり、意味は目的を持つ時に顕現するものです。

目的を改めて共有し、その目的から離れないでいることが今の時代は自分という存在を大切にする重要な仕組みや環境になります。それをできるだけ仲間や同志、多くの人たちを共有することで世の中に目的があったことを思い出させるだけで心の余裕や余白も増えていくものです。

引き続き、一円対話や初心会議、暮らしの甦生を通して人間の目的を思い出し真に豊かで幸福な実感を弘めていきたいと思います。

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