丸ごと一円観

一般的に修行というと、回峰行や滝行など含めた心身を鍛えるものを想像することが多いように思います。しかしよく振り返ってみると、修行は日々の暮らしの中に存在しているものです。つまり人生そのものが修行とも言えます。

修行の定義は色々とありますが、成長こそが修行ともいえるのではないかと私は思います。

人生歩んでいると、色々な事件があります。私は割と多い方らしく、周囲から驚かれます。日々に何かしらの事件があって、周囲はまたかと驚かれます。全部事件のように受け取っているからかもしれませんが、一つ一つを学びの行として受け止めればすべてが事件にもなるように思います。

人生は縁起によって微細なところまで完全に結ばれています。

日々の出会いや出来事は、必然であり起こるべくして起きたことです。偶然の事故に観えますが、実際は必然の事件です。向こうからやってくる出来事を、一つ一つ丁寧に正対して受け容れていく。

それは感情を含めて大変なことばかりですし、あるがままの自己を学び、そこからまた自然体に成長させていくための大切な道程ともいえます。直観というものは、出会う前にも知り、出会った後も知り、最中にも知ります。しかし本当に分かるのはいつなのかは誰にもわかりません。それはある時、ハッと目覚めるものか、あるいは探求する先に覚醒するものか、はたまた来世のようなときに巡り会い発見するものか。分かるというのは奥深い真理です。

しかし成長し続けているということは、まさに修行の最中であることを自覚でき学びがあることで自己がまた別の変化を継続していることを実感するものです。

ある意味で、修行の本質は受け入れがたいものを受け容れる実践の継続なのかもしれません。

よいものわるいもない、丸ごと一円観。

この道を味わいつくしていきたいと思います。