此の世にあるいのちの全てに共通するものとして呼吸があります。呼吸はどのようなものであってもすべて行います。人間など動物は動いているので呼吸しているのがすぐにわかりますが、植物であっても微生物であっても無機物のものでもすべて呼吸をしているものです。
例えば、地球であっても呼吸をします。波でも風でも季節でも呼吸をしているのがわかります。日中と夜でも呼吸が観えます。リズムを観ると呼吸がつながっていることがわかります。
呼吸は止めてみると、苦しくなるのですぐにわかります。また深夜に目覚めたときにしている呼吸、昼間の働いている時の呼吸、緊張している時、瞑想している時、食事の時も全部呼吸は異なります。しかし呼吸をしないということはありません。
呼吸は意識していなくても、本能で已みません。産まれてきたときから死ぬときまで続きます。息をしているから生きているともいえます。この当たり前のこと、事実すぎて氣にもとめないことの中にこそ根源が潜みます。
健康かを確かめるのも呼吸、そして場が調っているのかも呼吸、自分を知るのも呼吸、自然全体のリズムを直観するのもまた呼吸です。
「呼吸」の語源を調べると、サンスクリット語に由来しているといいます。阿吽の呼吸です。「阿」は口を開いて吐く息、「吽」は口を閉じて吸う息を表しています。密教では「阿吽」が万物の根源の象徴としています。
阿吽=呼吸という意味ですが、息をする間の中にいのちがあるということかもしれません。
私たちは固定し限定されて定着する中に存在していません。万物は易わり続けていて片時も止まることはありません。だからこそ、言語や認識では真理を語ることが難しく呼吸というような実体験を通して事実に正対できるようにも思います。
呼吸を調えるというのは、いのちを調えるということです。
場を調っているのは、呼吸が調っているということです。これをよくよく深く洞察していくことが場づくりをする要諦でもあります。
引き続き、呼吸を研究し場を醸成し場を磨いていきたいと思います。
