不動の徳

英彦山をはじめ私の郷里には巨石の岩や巨大な岩窟、そして滝などがあります。先人たちはこの場所で修業をして悟りを開き、人々の幸福のために徳を積まれました。修行は様々にあり、決して山中の修行だけではないですがなぜこれらの場所で修行をしたかということです。

岩は簡単には動かすことができません。あまりにも巨大で重機をもってしても山のような大きさがある岩が動きません。動かないもの、動かせないもの、ここには普遍的なものが具わっています。英彦山にいると岩と石ばかりですが石もまた大きなものばかりで簡単に動かすことができません。

その巨大な岩や石の隙間には水が流れています。最近の大雨で、大きな石も流されますが岩はびくともしません。岩の上をすべるように流れる水もまた、岩を動かすことはありません。まさに不動の徳です。

人間は立ち止まることで、自分と向き合い本来の姿を見つめることができます。立ち止まるというのは、動かないということです。動かない存在になってみてはじめて、動いているものの正体などに気づくことができます。動いているもの、それは水です。水が流れるように、滝に打たれているとその水が強く体に沁みてきます。しかしその水は巨大な岩に囲まれ、岩のなかで水を感じると自分が置かれている境地に気づくものです。

岩と水、この二つが和合することで私たちはいのちや徳のもつ不思議な感覚を味わえます。畏敬の念もこみあげてきます。何百年も前からなぜ人々は、磐に坐り、滝に打たれるのか、不思議ですが俗世のあらゆる煩悩を見つめるのに動かないことが徳に昇華されたのかもしれません。

引き続き、子どもたちに不動の徳を伝承していきたいと思います。